イヌオトコ@猫少女(仮)
借りてきた車は黒い大型の四輪駆動車で、スモークガラスだった。

助手席に彼女を乗せるのは昔から強く憧れていた葦海だったが、


こんな形で実現するとは、と内心ドキドキしていた。


初めて間近で見た威圧感に一瞬びくっとしたが、


「わっ!大きなワンちゃん!可愛い!おいで、よしよし」


後部座席に例の3頭の大型犬、レドリバーとハスキーがいた。


初対面の人間に警戒し、顔を上げるが、とくに唸ることもなく、

様子を窺っていた。


基本的に大人しく、人懐こいのでやたらには吠えないが、

ハスキーは気が小さくよく吠えた。




それでも不思議と笑結には尻尾を振って反応した。


確かに一見して小さな彼女は、

狼に食べられそうな赤ずきんに見え、葦海は吹き出しかけた。



黙って大人しく撫でられ、顔を舐める。


やっぱりこの子だと感じた葦海。

「黒ラブがネロ、ゴールデンがパトラッシュで、ハスキーがジロー」


名前のセンスに呆れる笑結。


「……怒ってへんのか?」


信号待ちで、恐る恐る笑結に話しかける。


「…なにを?」


「…あいつ、千里。怒鳴り付けてもうたし、暴れ散らかしてもうたし。

もうほんまに嫌になったん違うか?やったらもうええで?気ぃ使わんでも

千里と、デート、すんねやろ?付き合うたらええやん」



珍しく弱気になる。


改めて二人きりになると、お互い妙に意識し、緊張する。


顔も見ずに投げやりに話す葦海。

「しないです。気も使ってないし」

信号が変わり、動き出す。


「ごめんな?俺が喋るまで話しかけんでや」


「えっ…?」


「何年振りかわからへん、運転すんの。更新だけはしたけど、

ペーパーやねん。事故ったら嫌やから」


確かに、ガチガチの緊張感がばしばしと伝わってくる。


よく知っている葦海とは別人だ。

実際に運転していなければ、標識を間違えて逆走するか、


駐車禁止のところに停めて違反にでもならない限り免許が汚れることもない。


大抵捕まるのはスピード違反だ。

期限内に講習も受けているので免許はゴールドだ。


むしろ今ここに何ごともなく来られたのが奇跡だ。


「最悪、一緒に死にたないやろ。電柱ぶつけたり」


「このスピードでぶつかっても死なないですよ」


早足で歩道を歩く歩行者とほぼ同じ早さだった。


このいかつい車では文句も言われないだろうが。


「夜になっちゃいますよ?病院、間に合うんですか?」


泣きそうな顔で正面を見据え動かなくなる。


これ以上触れてはいけないと、苦笑いしつつ窓の外に目を移す笑結。


「…ごめんなさい…」


やはり動物病院に着いた頃には、すっかり日が暮れ、閉める手前で飛び込んだ。


「すいません!お見舞いだけいいですか!?」


汚れは拭かれていたが、痩せ細って包帯を巻かれ、痛々しい姿だ。

元もと捨てられていた猫だ。


知らない人から食べるものを貰うすべも知らず、逃げ惑い、


やっとの思いであの場所に辿り着いたのだろう。


その姿を見た瞬間に涙が溢れ、泣きじゃくった。


「ごめんね?ごめんね?ミィ、もう離さないから」


ゲージ越しに飼い主の声を聞いたミィは、震えながらも

にゃあ、と消えそうな声で応えた。


また、人間不信になるかもしれない。それも覚悟の上だった。


***

「本当にありがとうございました」

病院にも葦海にも深々と頭を下げる笑結。


辺りはもう真っ暗で、小さな月がぽっかりと浮かび、

駐車場の外灯が点るだけだった。

通行人もひと気もほとんどなく、

静かで、空気だけがひんやりと吐く息を白くさせた。


「ほんじゃあ、帰るわ」


車に向かう葦海の上着の裾を掴む。



「もう少し、いてくれませんか」

泣き腫らした目をしてうつむく笑結。


ここで離れたら、二度と会えなくなる気がした。


「……俺はええけど、親御さん、心配するで」


わしわしと頭を掻く。


と。


「えっ…」


うつむいたまま、胸元に抱き付いた。


「えっ?えっ?」


思わずよろけ、車に寄りかかる葦海。


確実に矢が刺さった。


ものすごく抱き締めたい衝動に駆られるが、ぐっと堪える。


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