ピュア・ラブ
「そんな所で寝ていたら風邪ひくぞ」

ずっと前、どれくらい前だったか忘れたけれど、同じことを言われた覚えがある。
部屋にはいる温かな日差しが、顔にあたっているのはわかる。でも、眠たさの前に目が開けられない。
声をかけられない私は、そんな些細なひと言が頭に残っていたようだ。頭は起きていなくても、なんとなく意識は起きている。一体、どこで誰が声をかけてくれたのか。
身体の上に何か掛けられる気配があり、やっと目を開ける。その前には日差しがその人の背からあたって、表が黒いシルエットで見えた。

「橘君?」
「寝てていいよ」
「……もっと、ずっと前……そうやって声をかけてくれたこと……ある?」
「……あるよ」

そうすると、どんどん記憶が鮮明になり、どこで言われたのか思い出し始めた。
確かあれはいつもの中庭だったはず。お弁当を食べて、本を開くと自然と眠気が襲った。毎日の習慣になってしまっていた「ちょっとの昼寝」だ。
その時もその声をかけてくれた人の背中から陽があたって、顔が分からなかった。
それに、とっても恥ずかしくて、走って逃げたような気がする。

「橘君だったのね」
「……そう」

そうして思い出して、私は、目を開けた。
目の前の橘君はシルエットではなく、はっきりと顔が見えた。
すると、橘君は私を抱きしめた。

「橘君?」
「黒川……黒川には俺がいる」
「どうしたの? 急に」
「俺がいるってことを知って……もう肩肘張って生きなくてもいいから」

いつも冗談じみて軽く話す橘君だが、真剣な声だった。
それがどういう事だったのか、後から分かったが、この時の私は、初めて女性としての喜びを感じていた。
それが途轍もなく恥ずかしい一方的な思いだったことを知る。
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