ピュア・ラブ
桜は開花し、とてもいい季節になった。川沿いには週末になると、桜を見に大勢の人が訪れていた。
以前の生活を取り戻した私は、穏やかな日々を送っていた。
あの日、私は、アパートに帰ると、腰が抜けたように座り込んだ。
ショックだった。しゃべらない私に、しゃべらせるようにすることに興味が湧くと言うのは、とてもよくわかることだった。
「落とせ」と言うのは、つまり、自分に振り向かせて彼女にする。そういう遊びだ。
今の橘君を知っている私は、決してそんなことにのらないと分かっている。でも、高校生だった橘君を始め、病院にいた男子はどうだろう。そう言った異性のことに興味がある年頃だ。軽いノリで賭けを始めてもおかしくはない。
でも、その対象にされた私は、高校生の時であっても、今の成熟した大人であっても傷つく。
その日、私は、初めてお酒を買って飲んだ。あの毛嫌いしていたお酒だ。
半分で既に頭がふわふわとした。いい気分とはこのことなのかと知ったが、彼らが病院で話していた会話が頭から離れることはなかった。
夜になっても寝つけず、頭に入って来ない映画をみたり、本を読んだりしていた。

「起こっていることは全て、自分が招いている」

どこかでそんなことを聞いた事があると思い出した。
お酒に逃げ、泣き、どうしてこんな目にと自分を憐れんでいたけれど、全ては自分が悪いのだ。
そのようになる様に運んでいたのだ。
あの男子達が悪いんじゃない。橘君が悪いんじゃない。面倒だ、放っておいてくれと、何もかもに投げやりになり、クラスメイトとしての協力や、行動をしてこなかった私が悪いのだ。
橘君と出会って、まだ間もないけれど、人と関わるということはとても大変なことだ。短い期間だったけれど、一生分の楽しい思いをしたと思う。
クリスマスを初めて楽しんだ。プレゼントを初めて渡した人。そして貰った人。
お正月には、トランプをして遊んだ。私は、子供の頃から、一人で神経衰弱やババ抜きをして遊んでいた。ずるい橘君は、ばばを私に引かせようと、姑息な手を使った。とても楽しかった。
もうそれだけで十分だ。これ以上望んだら罰が当たる。
今までの思いに感謝をすると、すっと心が軽くなった。
もう、恨んだりしない。かわいい男の子の出来心なのだ。そう思う事にした。

「モモ、ほら見て、桜が綺麗でしょう?」

ベランダに出ると、少しだけ桜が見える。温かな日差しを浴びて、ベランダの手すりには布団を干した。
足元でゴロンゴロンと体をくねくねとさせて、モモも気持ちが良さそうだ。
不思議なことに、両親もぱったりと来ない。だけど、それは気を許してはいけない。
まだあの人たちには受けて欲しい罰が沢山ある。橘君たちを許しても、決してあの人達は許さない。それが私の生きる糧になっているのだから。
橘君からも連絡は途絶えた。
受付の人がどう報告したのかは分からない。もう、どうでもいいことだ。
もし、あのことを聞いていたと知っても、私の性格を把握している彼は、どんな言い訳も通用しないと分かっているはずだ。それでいい。
今思えば、橘君と過した日々は、小説の中のようなものだったのかもしれない。現実ではなく、物語の中だったと。贅沢な物語だった。

「モモ、ブラッシングをしましょう」

春は、毛がよく抜ける季節だ。
ブラッシングをすると、フエルトが出来そうなほど毛が抜ける。
モモの身体をブラッシングして、ゴロゴロと喉を鳴らし、気持ちがいいと言うモモとの時間が、私を穏やかにした。
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