ピュア・ラブ
「温めて貰うの忘れたな」
「実習生のバッチがついてたから」
「そうか、聞くのを忘れたんだな」
「おにぎりといい、弁当といい、なんか俺、しゃれてないよな」

そんなことはない。誰かと食事するのは、緊張するけれど、私に負担がないようにしてくれたことだ。
モモのお陰で、全く無縁だと思っていた同級生と、こうして、近づく事ができた。
でもそれには、ちゃんとブレーキをかける。モモも抜糸をしてしまえば、余程の事がない限り、病院には行くまい。
私には、入ってはいけない世界がある。
あの厄病神が生きている限り、私につきまとうだろう。天変地異が起きて、私に好きな人でも出来たら、その人にたかりに行くに決まっている。
そんなことは出来ない。
だから、私は、地獄の中を生きて行くのだ。

「黒川も食べて、モモは、う~ん……モモ、ごめんな。もう少し待ってよ?」

箸を渡してくれ、後部座席にいるモモに言葉をかけた。
エンジンが止まった車の中は、海の波打つ音が聞こえた。
もっと早く来ればよかった。この音は、なんと心が穏やかになる音なのだろう。

「少し開けるよ。波の音がいいよね」

私は、食べる箸が止まっていた。波の音に聞き入っていたのだ。それを橘君が察してくれたのだろう。
開けられた窓からは、海の匂いがした。
イヌがいれば、海辺を散歩しただろうが、モモは散歩もしないし、水も苦手な猫だ。
モモには悪いけれど、留守番をしてもらい、週末は海に来ることにしよう。図書館に行くのが、いつもの週末の過ごし方だったが、海も加えよう。

「泳げる?」
「多分」

中学生以来、泳いでいない。あのころは、確か、100メートルは泳げていたはずだ。
身体が覚えていれば、泳げるはずだ。

「来年の夏、この海で一緒に泳ごう」

そう言ったきり、橘君は私のアパートに送り届けてくれるまで、何もしゃべらなかった。


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