ピュア・ラブ
「黒川には、何か深い事情がある。それだけは、俺にも分かった。だけど、まさか修学旅行まで参加しないとは思ってもみなかった。しゃべったことのない俺が、お土産なんて、受け取ってくれるはずもない。だけど、何か買わずにはいられなかった。別に、情けをかけるとかそんなんじゃなく、ただ、買いたかったんだ」

そんなことを思ってくれていた人を、私は、名前も顔すらも覚えていなかった。
私は、両親に愛されたことがない。だから人を愛することも分からない。

「でも、こうしてめぐり逢えた。今の俺は渡す勇気がある。こんな安物で何を言ってんだか……あ、特別な事は何もないんだ。ただ、もっと黒川と話がしたい、最初の頃よりいろいろ話をするようになったね。俺、黒川のことをもっと知りたいんだ」

橘君は、手が大きくいろいろと動いて、落ち着かない様子だ。少しだけ早口になっている。

「私は……」
「君の声がずっと聞きたかった。想像していたより、ずっと細くてかわいい声だね」

そんなことを言われたのは、おばあちゃん以来だ。いつも「茜はかわいい」と言ってくれた。母親が、どんなに私を下げすさんでも、おばあちゃんのこの一言が私を救ってくれた。

「沖縄ね、黒川に見せたい場所が沢山あったよ」

社会人になってどうしても行きたいところがあった。それは、学校の行事で行けなかった場所。遠足と、修学旅行先だった。沖縄はまだ行けていなかったが、旅行会社からパンフレットを持って帰り、計画を立てたことがある。
でも、遠足先は行くことが出来た。ディズニーランドだった。これには、かなりの勇気がいった。グループで行くのが主流だと思っていたが、お一人様も多く来園しているとのことで、勇気をだして行ってみた。
そこで分かったことは、私は、コースター系のアトラクションが苦手だという事だ。
気分が良くなるまで、だいぶ時間が掛かり、結局楽しめたのは、買い物と、パレードだった。

「ゆっくりでいいから、俺と話をするところから始めないか?」
「それは……」

孤独を愛する私にとって、人と関わることは、大変な事なのだ。会話も、人との向き合い方も分からない。いつも自分の中の自分が友達だった。問いかけ、応えてくれるのも自分だった。そんな状態が身に付いてしまっている。子供の頃からなのだ、不便さも感じていなかったし、そうすぐには変えられない。
ここで、橘君と友達になれば、きっと橘君が後悔する。私に気を遣い、言葉の一つ一つに気を配る。こんなにいい人を困らせることは出来ない。

「同級生だったのに、黒川は友達とも思ってないだろう? だから」

私は、首を縦に振ることが出来なかった。
下を向きっぱなしの私の顔を、橘君は両手で挟んで上を向かせた。

「黒川、俺はここだ。ちゃんと俺を見て」

そう言う橘君と視線がぶつかった。
頬が火照って顔が赤くなって行くのがわかる。こんなに至近距離で橘君の顔を見たことがない。顔を押さえつけられ、しっかりと顔を見ると、なんとも表現はむずかしいけれど、「お人好し」と言う言葉があっているような顔をしていた。
顔を見れば性格がわかると言うが、神経質そうでもないし、怖そうでもない。ごつい顔つきでもないので、あてはまるのは、優しそう。それしか思い浮かばなかった。

「自分を変えることなんかないんだよ? 黒川は黒川なんだから。俺は黒川と再会出来て飛び上がる程嬉しかった。それは本当だから」
「分かった……やってみる」
「よかった、いい返事が聞けて。差しあたって、次の約束は初詣っていうのはどう?」

根負けした私は、目をゆっくりと閉じ、開けた。分かったという返事だった。
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