不器用ハートにドクターのメス


チェックアウトいっぱいまで、出来る限りゆっくりしていたせいだろう。

帰りのケーブルカーは、行きしなより一段とすいていた。

すいているというよりも、もはや貸し切り状態だ。神崎と真由美のほかには、客は誰もいなかった。

ガラ空きの車内。日の光が窓を介して若干屈折して入り込み、ゆがんだ陽だまりを座席や床、ところどころに作っている。


「二日とも、ちょうど天気良くてよかったな」


ケーブルカーが動き出したころ、神崎がそう、やわらかい声色でつぶやいた。

旅行の二日間は、たしかにここ最近の気温と比べてあたたかかった。

もしこの気温が続けば、来る12月25日はホワイトクリスマスにはならないだろう。

ほんのりとほおを染め、真由美は「はい」とうなずいてみせる。

人少なな車両内は、とても静かだ。

けれど何か話さなければと、焦る思いに駆られることはなかった。

互いに黙っていても、満ち足りている。こんなにも優しい種類の沈黙があったのだなと感じながら、真由美は顔を上げて、対向の車窓を見る。

本当に天気が良い。でももし、吹雪いていても豪雨でも、先生とならきっと楽しかったな。

目を細めて、そんな風に思う。

何をしても、どこにいても、先生となら。そんな想像が次々と湧いてきて、頭の中が、少し苦しいくらいだ。

六月には紫陽花が咲き乱れる。先生はそのように言っていた。

きっとその光景は、壮観なんだろう。春には桜が、夏には緑が、秋には紅葉が、美しく見られるのだろう。

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