Margarita
愛すべき程の
母親だけ、高校の時に火事で失った。だけ、では無いけれども母親は少なくとも火事で失った。片親では卒業までの息子に悪影響、というのは建て前で、引き続き育児放棄で仕事に耽るために父はその二年後に再婚した。それに気付かないほど馬鹿なつもりはなかったし、反発する程愚かでもないつもりだった。
無難にそこそこの成績で高校を出て、そこそこの大学に入り、諸事情で中退ではあったがそこそこの給料で好きだと言える職にも就いた。結婚もしたが、結局私の人付き合いが問題で続かずに離婚もした。別に、誰にでもいい顔をする訳では無い。当たり障りのない言動を選ぶだけ。程々のアドバイスと優しい言葉で人の輪は何となく繋がっていく。ただ、友人も恋人もないそれでは確かに特別感はないだろう。酷く、彼女を不安にさせたらしい。結局、別れてからはずっと独り身だ。
家族は上に兄姉はいないが、下に弟がいる。義母の息子だが仲は悪くない。寧ろ良い方ではないかと個人的には思っている。…特別感はないとは言ったが、弟だけは特別だと言える。私の中の区分は弟と、その他だ。
しかして、振り返っても。
全くもって、普通。
幸せかと言われてすぐには応えられないが、不幸かと言われれば違うと言える。
パッと挙がる、人生での分岐をある程度は経験していると言えるだろうとも思うが。
毎朝8時前には家を出て17時に仕事を終え、稀に残業をしてから家に帰る。好きなお酒を飲んで本でも読みながら過ごし、次の日同じように出社する。
愛すべき程の、普通。
無難、と言うべきか。
帰宅して、スーツを脱いでネクタイを緩める。
くるりと見渡す部屋も、無難。
男の一人暮らしなんてこんなものだろう。奥に元妻の部屋は残っているが、夫婦になれなかっただけで、友人としては今も成立しているのだから、後ろめたさもない。使えるものをそのままにしているだけだ。
無難。
そうありたいと願ってきた。
大きな幸せがなくていい。
無難に、普通に、平穏に。
例え少し――…
途中まで思いかけて止める。確か今日は弟が家に来る日だ。
平穏を壊す、台風のような子。
マンションの隣の部屋に住んでいるが、週の半分は私の家に来て夕飯を食べている。
唯一の、異質な時間。
それが心地いい時点で、まだまだ普通ではないのかもしれない。
インターホンも鳴らさずに「お兄ちゃあーん」と呼ぶ声に苦笑しながら、玄関へと向かった。
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