平凡な毎日に恋という名の調味料(スパイス)を
 ◇ ◇ ◇

食器を洗う水の音にかき消されないように声を張る。

「すみません。もしかしたら、明日の夜は顔が出せないかも」

キュッと蛇口を閉めた晃さんが「ん?」と腰を屈め、食器を拭いていたわたしの方へ耳を傾けた。

いままでカウンター越しの対面が多かったから気にしてなかったけど、こうして隣に立つとよくわかる。晃さんって背が高い。
170センチ近くありそうな希さんと並んでも、十分お似合いの身長差だろう。
160もないわたしからすれば羨ましい限りだけど、調理台の高さが合わないようで腰に負担がかかりそうだな、と思った。

「予定が入っていたのを言い忘れてました。バイトを始めたばかりなのに申し訳ないんですけど」
「大丈夫だよ。平日だし、こっちが無理を言っているんだから」
「なになに? 礼子ちゃん、デートぉ?」

閉店後のレジの集計が終わった希さんが、すかさず話題に食いつく。

ダンッ! 大きな音が厨房に響いて驚いた。

見ると晃さん前にある大きなまな板の上で、真っ二つにされた太い大根が転がっている。それをさらに小さな輪切りにして、米のとぎ汁を張ったお鍋に放り込んでいた。

「違いますよ。会社の新人くんの歓迎会です」

ビックリしてドキドキいう心臓をなだめながら答えれば、希さんは「なぁんだ」とがっかりしたように、金庫のある店の奥へと行ってしまう。

「……弁当はいる?」
「あ、はい! もし迷惑でなければ、ぜひお願いします。やっぱり辰樹屋さんのより美味しいです」

おぉっと。晃さんの前の職場を批判しちゃったよ。慌てて口を手で塞いだ。
だけど彼は気にした様子もなく、鍋の中でぐつぐつ踊る大根に視線を注いでいる。

「そっか。なら、よかった」

その目元が小さな呟きとともに緩んだ。
あ、なんだろう。いま、鍋の中の大根がちょっぴり羨ましい気がしたぞ?

「それ、明日の分ですか?」
「そう。いろんな煮物に使うから、まとめて下茹でしておくんだ」

うん。甘辛い煮汁の味が染み込んだ大根って、美味しいよね。イカといっしょに煮たのが好きだな。
図々しくもそう言うと、「近いうちにね」と今度は口元をほころばせていた。
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