平凡な毎日に恋という名の調味料(スパイス)を
ぽつん。屋根の下に居るはずなのに、木のテーブルの上に雫が落ちる。

「礼子さん、どうしたんですか。なんか俺、変なこと言っちゃいました?」

不安の色に瞳を染めた脩人くんが腕を伸ばす。その指先がわたしの頬に触れた瞬間、ビクッと身を引いた。

「ごめん。やだ。ホント、ごめん」

会話にならない単語を繰り返しながら、手で濡れた頬を拭った。

「泣くほど、イヤだった?」

脩人くんは宙に浮いてしまった手を気まずそうに引き寄せ、ギュッと握る。ううん、とわたしは首を振った。

「ありがとう。こんな、なんの取り柄もないわたしなんかを想ってくれて」
「なんか、なんて言わないでくださいよ。……じゃあ!?」

とたんに眩しいくらいに顔を明るくさせたけど、

「ごめんね。そうじゃないの。わたし、好きな人がいるんだ」
「え……」
「だから、脩人くんの気持ちには――応えられない」

もし自分が言われたら、と思う言葉を脩人くんに突きつけるわたしは、なんてひどい人間だ。だけど、嘘を吐くわけにはいかない。

「付き合ってるんですか? 彼氏はいないって吉井さんから聞いてたけど」
「ううん。わたしの片思いだし、付き合うとか、できる人じゃないし」
「なんで? あ、向こうに相手がいるとか……って、まさか」

彼の表情が険しさを増した。そう、わたしの想いは人の道から外れたものだ。

「だってあの人、結婚しているんですよね? もうすぐ子どもが産まれるんですよね? なんでそんな人……」

非難めいた語気と真っ直ぐに刺すような目差しが痛くて、ついつい視線が下を向く。

「そうだよ。だから告白するつもりも、もちろんない」
「だったらっ!」

バンッ! と手をついたテーブルの上で、空になっていたペットボトルが倒れて転がる。カラカラと乾いた音がわたしの心の中で響いた。

「そんな望みのないヤツ、さっさと忘れて――」
「……だもの。好きなんだもの、仕方がないじゃないっ!」

さっき言われた台詞を言い返す。

「諦めなくちゃいけない、忘れるべきだってのはよくわかってる。だけどまだ、想いを消化できないの。ここに残っているから」

罪悪感と苦しさででチクチクと痛い胸を押さえてうずくまる。この痛みが消えるまで、わたしは前に進めない。

「だから、ごめんなさい」

わたしの声がかき消されそうになるほど雨は激しくなっている。
気づけば園内に人影はほとんど無く、動物たちも雨を避けてひっそりとしていた。

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