平凡な毎日に恋という名の調味料(スパイス)を
いっそのこと引っ越してしまおうか。

そんな後ろ向きな思考の闇に落ちていたわたしに、やっぱり彼は柔らかな目差しを向けてくる。

「どう? 少しは落ち着いた?」

ごく自然に投げられた問いかけが、わたしの表情を強張らせた。

「ごめんね。あんな顔見たら、どうしても放っておけなくてここへ連れてきちゃったんだけど、お節介だったかな」

どうしてこの人は、わたしの見られたくないところばかり見ているんだろう。

「彼と――脩人くんと、なにかあった?」

安心安定の低音で紡がれる言葉は、ずぶずぶと沈み始めたわたしの昏い部分を不用意に刺激する。

「俺でよければ話を聞くよ。こんなんでも、礼ちゃんよりは長く生きているからね」

いつもと変わらないこの声が、わたしの生活から平穏を奪った。わたしはこんなに心を乱されているのに、彼がなんにも変わっていないことに無性に腹が立った。

わかっている。これは完全に八つ当たり。

「……晃さんには、関係のないことです」

自分から出た声色の冷たさに驚いた。
案の定、晃さんも一瞬目を丸くする。だけどすぐにまた元のように和らげて、

「そうだね。俺には、なんの権利もないもんね」

ごめん、と寂しげな呟きを残して厨房へ戻ろうとするから、思わずカウンターチェアから立ち上がりその手を掴んでいた。

「なんで言葉通りに受け取るんです?」
「だけど、言いたくないことを無理に訊くのも……」
「そんな優しさなんかいりません!」

わたしの自分勝手な言い分に、晃さんが困惑するのも当然で。なのに、黒いわたしはもっと彼を困らせたいという衝動を抑えられない。
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