俺様オヤジの恩返し
……と、願っていたのに。
日頃の行いが悪いのを充分、自覚しすぎている私に、
上手いことズラせるはずがなかった。


事もあろうに西藤先生は、自分がダブっていない枠の、私のピアノのクラスを見学すると言い出した。

そんな、小中学校の研究授業のようなこと、ここではやってませんけど?


「百聞は一見にしかず。
生徒のことも橘先生のこともよくわかる」


たしかにそうだけど……私のこともって……。やだー!
事務局に泣き付くと、


「いいじゃないですか、子供に好かれる教え方のお手本ですよ、橘先生は」


いや、ただの生ぬるさの見本なんですが……恥ずかしいんですが。


えーい!
見たいって言うなら見なさいよ!
文句は受け付けないんだからね。




一人目。小学一年生の女の子。
ほら。
生徒さんも緊張して可哀想じゃないのよ。
お母さんもそんなに固くならず……。すみませんね。


私はかわいい小さな耳に内緒で呟いた。

「西藤先生はね、今日はただ見てるだけだから。
あれは、ただの壁紙の模様だよ?
おじさん柄なんてあるんだねー」

良かった…生徒さんは、ニコニコといくらか気が楽になったよう……。
いつも通りにレッスンを終えた。




「あの生徒さんは、練習して来る時と来ない時のムラがありますが、お休みは少ないです」


「……ったく。俺はオヤジ柄の壁紙か?」


この男、耳がいい。地獄耳か……。


「オヤジ柄ではなく、おじさん柄です。あしからず」


「橘先生はさ、手本を弾いて聴かせる人なんだな…。本当に初心者向けだ。
プロのCD買え、とはまだ言え無いかぁ…」


「いえ、おっしゃってもいいんじゃないですか?保護者のかたに」


「ふぅん……。まあ、上達したら、な。
……橘先生は今日何時で終わるんだっけ?飯でも食いに行かね?」


「いえ、今日は予定がありますので」

夜のお店のバイトがあるのよ。


「へぇ、男、か」



「そう思っていただいても構いませんよ?」


……もう。
あまり絡んでこられると…私生活がバレるじゃないのよ、勘弁して。

西藤先生は何のつもりで私に絡むんだろう?
何か絡まれると気になってしまう。
そういうの、日頃もう無いんだから、免疫不全で勘違いするじゃないの。




生徒さんには、厳しいけど教え方はわかりやすくていい先生だ、と事務の人は言っていた。

俺様な態度は私にだけ?
なんだか気になって仕方がないんですけど……。





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