人魚花

<彼女>は【花】だった。

海底に根を張り、水中に茎や葉、蔓を伸ばし、水面に花を浮かべ、日の光を浴びて輝く、そんな美しい花だった。


──そう、花【だった】のだ。


透明な水の中で、同じ花の大勢もの仲間と競い合うように花を咲かせ、葉や蔓の間を住み処とする小魚たちと戯れ、毎日を過ごしていた、<彼女>はそんな幸せな花【だった】。



 水の流れは 時の音
 私を遠くへいざなう響き
 嗚呼 でも まだ瞳を閉じたくないの
 どうか このまま夢を見せて



二つの月を見上げながら、<彼女>はまた歌を紡いでいた。

冷たくも美しい旋律。この歌も、先ほどの歌も、教わったのは遠い、遠い昔。<彼女>が一人ではなかった頃だった。

まだ、ここが暗く閉ざされた入り江ではなかった頃、だった。

(このメロディは……子守唄、だったかしら)

歌い続けることは止めないまま、<彼女>は久々に、過去の日々を呼び覚ますように想いを馳せる。

まだ幼い<彼女>をあやすように、月が顔を覗かせる刻になると、姉のような存在の花が、毎夜歌ってくれた、優しい子守唄。

記憶を辿ると容易に<彼女>の耳許で蘇った。旋律こそ悲しいけれど、優しい声で奏でられていた優しい唄。

(私には、歌えない)

けれど、もう二度と聴くことも出来ない。


──あんなに沢山いた仲間は、皆<彼女>を残して枯れてしまったから、だ。

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