『それは、大人の事情。』【完】
「朝比奈は食うの遅そうだからな。昼休み終わるまでに食えなかったら困るだろ?」
反論したいとこだけど、部長が言った事は当たっていた。私は食べるのが人より遅い。だから悪いと思ったけど、お言葉に甘えて先に頂くことにした。
遠慮気味に食べ始めるが、正面にいる部長が頬杖をつき私をジッと見るから、なんだか緊張して箸が進まない。
「あの、そんなに見ないで下さい」
「あ、悪い。今の若い娘は、とんでもない箸の持ち方するから朝比奈もそうかと思ったが、ちゃんとしてるな。綺麗な食べ方に見惚れてたよ」
「……私の両親は、そういうの厳しかったから。それに私、若くないし……」
箸の持ち方を褒められた事など今まで一度もなかったから戸惑ってしまった。でも、なんだか嬉しい。
「ほぉー、そんなに厳しく躾(しつけ)られた若くもないお前が、どうしてセフレなんかしてるんだ?」
「ぐっ……」
「朝比奈くらいの歳なら結婚に憧れたりするものだろ?どうして、愛のない関係で満足できるんだ?」
せっかくいい気分だったのに、痛いところを突かれテンションが下がる。
「それは……大人の事情です」
私よりずっと大人の部長に言う言葉じゃないかもって思ったが、他に適当な言葉が見つからなかった。
自分の恋愛遍歴を部長に話すつもりはさらさらない。惨めな自分を晒すのはイヤだったし、何より可哀想だと思われ同情されるのが耐えられなかった。
「大人の事情ねぇ~……」
そう呟いた部長が、やっと運ばれてきた松御膳を前にして、視線だけをこちらに向ける。
「……だったら、その大人の事情ってやつ、今すぐ忘れろ」