『それは、大人の事情。』【完】
今まで経験した事のない燃える様な胸の痛みに息が止まりそうになる。
「……有難う」
それだけ言うとクルリと向きを変え隣の女子トイレに駆け込んだ。そして必死で涙を堪え震える体を抱き締める。
これでハッキリしたじゃない。あの子はもう私の事なんて好きじゃない。彼の気持ちは、確実に理央ちゃんに向いている。
「泣いちゃダメ。私には真司さんが居るんだから……」
何度もそう呟き自分を納得させると、やっと気持ちが落ち着いてきた。しかし、トイレを出た時にはもう、男子トイレに彼の姿はなく、誰も居ない廊下は静まり返っていた。
その静けさが虚しさを増し、言いようのない喪失感に苛まれる。
そして、重い足取りで廊下を歩き、オフィスのドアを開けると、課長が待ち構えていた様に私を呼ぶ。
「この前の有給届。朝比奈さんから部長に渡しといてくれる」
「私が……ですか?」
「そう、君の有給で愚痴られたらイヤだからさ。自分で出してきて」
有給届を手にした瞬間、ソレを破り捨てようかと思った。でも、それさえも出来ず渋々部長室に行くと、笑顔の真司さんが「いいところに来た。これを見てごらん」って、結婚式場のパンフレットを手渡してきたんだ。
「一応、予約はしてあるが、梢恵が気に入らなかったら悪いと思ってな。パンフレットだけじゃ不安なら休みの日にでも見に行くか?」
これが私の運命なんだ―――運命には逆らえない。逆らっちゃイケナイんだ……
そう思った私は、迷う事なく答えていた。
「うぅん、見に行かなくても大丈夫。ここでいいよ」