絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅴ
その日は帰ってそのまま寝た。

 朝起きて、無償に四対に会いたくなって、感傷的に『会いたい』とメールをしたが、未読のまま、土日がすぎていく。

 今まで色々都合をつけて面倒をみてくれたが、本来なら、とてつもなく忙しい身であり、今は融通がきかない時なんだろう。

 ずっと未読のままだが、相手が連絡したいならしてくるだろうし、また月曜日からは他の店の改装に行かなければならないし、そのままにしておく。

 香織の件も結局そのままだ。

 そんな状態で勝己には会いたくないし、九条が勝己に何か言ったのかどうかも聞いていないし、歌川からも何も連絡はないし、山瀬からの連絡もない……悩みながらも時だけが経過してしまっている。

 月曜日、改装応援ということで、既存の店の従業員がいる開店したままの中、作業を続けていく。

 レイアウト変更と商品増加が主な作業で、先日までとは打って変わり、のんびりした時間が過ぎるものかと思いきや、歌川がこれみよがしに、腰回りの広いワンピースにスニーカーで出社したことにより、一気に目が覚めた。

 土日のうちに、何故香織に言わなかったんだという後悔ばかりが募る。いや、もう勝己が言ったのかもしれないが、どちらにせよ、耐えられない空気だった。

 昼休憩のうちに、香織に今日中に時間をとって欲しいとメールを打つ。

 だが、息子の体調があいにく悪く、しばらく都合がつきそうにない、と返事がきたため、仕方なく我慢することにする。

 そういえば。そういえば、チームの人はみんな気づいてると言っていた。

 商品を並べている時にふとその言葉を思い出し、思い立ってその場を離れ、まずは話しやすい増田に今日少し話がしたい、と申し出てみる。

「うんうん、いいよ。他はどうする?」

 と、聞いてくれたので、廣瀬だけ誘ってほしい。廣瀬にも話したいことがある。とそれだけ述べた。

 その日は初日だが、什器が足りず、とりあえずできるところまでの作業が18時には終了したので、全員で早々とホテルへ戻る。今日は買い出しして部屋で食べようということになり、テイクアウトが有名なカフェに足を運ぶと偶然坂東がいた。

 話のはずみで

「じゃあ俺も女子会に混ざるか」

と言い笑う。

「部屋に入りきらないわよ」

と、廣瀬がいい、もちろん坂東もすぐに引いたが、思い直した香月は

「坂東さんも、良かったら」

と、誘った。女子2人は意外に思ったようだが、それでも今日の主催者は香月なので、文句はない。

 店を2軒ほど周り、ホテルに戻り、香月の部屋でソファやベッドサイドなど使いながら4人位置を取り、とりあえず口に物を入れたところで、香月は始めた。

「その……多分知らなかったのは私だけで、今思えばみんな知ってたんだろうと思うんですが」

「……」

 みな、とりあえず、手を休め、話を聞いてくれる。

「勝己部長のことです。私は全然……歌川さんとのことは知りませんでした」

「なんだ、そんなことかよ」

 坂東はすぐにどうでもよさそうに、ビールを開けて、口に運んだ。一応、待っていてくれたらしい。

「知っててすごい演技してるのか、本当に知らないのか、私はずっと分からなかったけど」

 廣瀬は言う。更に増田は冷静に、

「いや……まあ私は言う必要ないかなって思ってて。でも、何で気づいたんですか?」

「金曜日、歌川さんから電話がかかってきたんです、調子悪いって。で、聞いたら家がすぐ近くだって、私も暇だったから買い物とかしていってあげるって言ったんです。そしたら本当に調子が悪そうで……そこで、話を聞いたんです。妊娠5週だって」

「5週!?」

 廣瀬が高い声を上げた。妊娠のことは知らなかったのかもしれない。

「マタニティ着てるから、3か月くらいになってるのかと思ったわ」

「…、えっと」

 予想外のセリフが返ってきた香月は、言葉を失う。

「ふーん、そんな服着てたか?」

 坂東は、のんびりビール片手に聞く。

「着てたわよ、こんなワンピースの服」

「見てねえなあ」

「あんた今日一緒に仕事してたじゃない」 

 廣瀬は心底おかしそうに笑った。

「いやー、顔は見たけど、その下まで見てねえ」

「器用なのねー」

「あの、えっとえっと、で」

 香月はもう一度みんなの視線を集める。

「で、妊娠してることを聞かされて私はすごいびっくりして。そうしたら、妊娠してることを勝己部長に言う時に一緒にいてほしいって言われて」

「またまたぶりっ子が」

 廣瀬はえらく投げやりに言い放った。

「で?」

 増田が先を促してくれる。香月は慌てて、

「で、そうこうしてたら、勝己部長が本当に家に来て、それで歌川さんが妊娠してるって言ったら、嬉しそうに喜んでて…て…その上私から奥さんにその事を伝えて欲しいって言われて」

「あぁ……」

 廣瀬は宙を見て納得した。

「北店に嫁さんがいたな」

 坂東も思い当たるようだ。

「その、その、何で私が言わないといけないの!?と思って」

 香月は、みんな納得いっているようだったが、それも納得がいかない!としっかり疑問を提示すする。

「まあ……色々面倒臭かったんじゃない?」

 廣瀬の適当な一言ではさすがに納得がいかない。

「そんな、だって私、他人ですよ? しかも何も知らなかったし!!」

「知らなかったってところは、誤算だったのかもしれないね。チームの中では公認みたいなもんだったから」

「嘘……」

 香月は、絶句して肩を落とした。

「公認ってことはなかったと思いますけど」

 増田が気を遣ってフォローする。

「半公認というか、……香月以外に知らない人、いた? 逆に」

 廣瀬は坂東に問う。

「さあ……、まあでも、俺も香月は知らないんだろうなとは思ってたけど」

「私が、勝己部長のって話をした時、一瞬止まりましたよね。あの時ですよね」

 ホテルのラウンジの時だ。

「ああ、まあ……。歌川の話が出ると思ったから」

「…………」

「まあでも、ほっときゃいいんじゃない?」

 廣瀬は言い切って、ビールを傾けた。

「でも私は、奥さんと友達なんです」

「……うーん、だからって、どうするの?」

 それは私が聞きたい。

「だから、寄り添って一緒に泣くんじゃねーの?」

 意外に坂東は真剣に答えてくれる。

「……慰謝料とか一緒に決めるわけじゃないでしょ。どうせ離婚しないんだし」

 香月は、何も言わず、忙しく頭の中で検索し始めた。

 離婚……しない? いや、勝己部長は離婚すると言っただろうか。歌川はそれを望むと言っただだろうか。

「り……離婚しないんですか?」

 香月は、何にも関係がない、皆に聞いた。

「するの?」

 逆に廣瀬が聞いてくる。

「わ、分かんないです……」

 そう聞かれると、全く自信がなくなる。

「離婚しないと思うよ。だいたいみんなそうだし」

「ち、ちょと待って下さい」

 香月はもう、訳が分からなくて、半分笑いながら聞いた。

「だいたいみんなって、だいたいみんなって、みんなそうなんですか!?」

 これが普通の人間なら、怒らずにはいられないと思う。

「だから、そういう風になった人のだいたいはそうかなって。そりゃ統計とったわけじゃないから確率で言えば分からないけど」

 廣瀬はやたらムキになって答えた。

「三島に、大園に小堺は、そうだったな。今思いつく限りでは」

「誰ですか、それは」

 坂東の言葉に顔が引きつっていたが、それをもはや修正することはできない。

「あ、前社長もそうじゃない」

 廣瀬が香月の質問には答えなかったので、増田が代わりに答える。

「本社の人ですよ。わりとあるんですよ、リバティは」

「リバティじゃなくてもあるでしょ」

 廣瀬は平然と、エレクトロニクスのことを差して言いたそうだったが、

「……知りません」

 エレクトロニクスではなかっただろうと考えながら答えたが、ここ5年の記憶がないだけに、はっきりしたことは本当に分からない。

「……まあね、それがよくないことっていうのはみんな分かってるのよ。でもこう……抑えられない感情とか、なんか豪遊生活とか、会社での地位とかそういうのが色々うごめいているのよね」

「普通だ、普通。どこにでもあるよ、そんなのは」

 廣瀬をフォローしたのではなく、ただ坂東は自然だと呟きたかったようだ。

「……」

 確かに、新聞に載るような珍しい話ではない。

「じゃぁこれから、香織は……奥さんはどうやって……」

「そのままじゃない? あのクラスの給料ならすごいから」

 廣瀬のあっけらかんとした言い方に腹が立ったが、

「一千万円プレーヤーですからね」

 増田の一言に目を剥いた。

「一千……!?」

「子持ちのパートで月百万あるのとないのと、どっちがいーい?」

 廣瀬は当然のごとく聞いたが、

「……、……」 

 言葉にならならい。

「香月、あんた若いんだよ、考え方が。

 でも、ここなら大丈夫。SSチームならやっていけると思う」

 既に酔った雰囲気だったので、あまり鵜呑みにはしないでおこうと思いながらも、ちらと見る。

「香月は倉庫チーフからここへ来たでしょ? それは強盗事件の責任取りなわけだけど」

「……そうですが」

 そう言わないと先へは進めてくれそうにない。

「通常倉庫チーフであれだけの高額商品かっさらわれたら、平決定よ。

 それが何で今ここにいるのかって言ったら、九条専務の力なわけ。つまり、附和専務のね」

 廣瀬がどうやら酔ってはいないことに気づいて、香月は、真剣に話に耳を傾けた。

「リバティでいるからには、何でもいいから上と繋がっていられるような裏事情をしっかりつかんでうまくやらないと、結局平になって辞めるののよ」

「……否定はしねえな」

 坂東も頷いている。

「けど私は、そういうのは嫌いです」 
 
 流されそうで嫌だったので、本音を言ったが、

「じゃあ、附和専務にそっぽ向ける?」

 えらく挑発的に言われたが、

「私はいつもあの人のやり方は嫌いだと言っています。……でも、助けてくれるから……そのお返しはしないととは思ってて……」

「………ふーん、なんか、面白い関係性みたいね」

「それは……知りませんけど」

「だったら、香月にはこの場所が合ってると思う。
 
 ここは、このチームは一時凌ぎの場所というか、そういう渦にあまり巻き込まれなくて済む唯一の場所なの。けど、仕事できないとすぐ飛ばされるけどね」

 新店での数日前の発注ミスがずきりと胸に痛む。

「……怯えてるじゃねえか」

 坂東は廣瀬を横目で見たが、

「香月の今の考え方は本社も店も向いてないと思う。そんなんじゃ絶対平に落とされる。だから、ここが合ってると思うの」

 廣瀬はそして、たっぷり時間をかけてから言った。

「だからここで頑張りな。

 勝己のことも気にくわないだろうけど、気にするんじゃないよ。

 奥さんのことも、適当に流しといた方がいい」

「………」

 あまりに強い口調なので、返す言葉が見つからない。

「その上附和専務と結婚したら、世界はあんたの物だよ」

 そんな世界ならいらない。私が探しているのは、そんな世界じゃない…。

 そう言いたかったが、もちろん口からは何も出ない。

 香月は、分かったようなふりをして、ただその場をやり過ごす。

 翌日、この先、どう仕事をしていくべきなのか、そしてどう生きていくべきなのか、そんなことをぐるぐるぐるぐる、ぼんやりと幾日も考える。

 変わらない日常、飽きたことにも気づかない日常。

 ただ、そうやって、そんな日常に埋没していくしかない日々が続いた。


※『俺の手には負えない』に続きます。
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