トンネルを抜けるまで

「大丈夫ですか!?」
 腕を触られ、びっくりした私は反射的にその手を叩いていた。おじ……男は驚いたのか、言葉が返ってこない。
 ごめんなさい、大丈夫だから。もう頭は痛くない。
「そうですか」
 男は安堵していた。本当に、思い出してないのかな。表情はあの時とは違って落ち着いてるけど。この人のこと、一度はとても信頼していたのに。今ではこんなにも怖い。いつ爆発するか分からない、まるで時限爆弾の様。
 一歩、彼から遠ざかった。冷や汗が流れた。

 密室に閉じ込められ、抱きしめられた私は、つい男を突き飛ばして助けてと大声で叫んだ。動揺した男は、小屋の中に一つあったポリタンクのふたを外し、中のドロっとした液体を部屋中に巻いて火を出したライターを地面に落とした。小屋の木の問題か、それとも中の液体の問題だったのか。よくわからないけど、炎よりも先に私を襲ったのは煙だった。呼吸をする場所を徐々に失った私は、気がつけばトンネル前にいたんだ。
「天使、本当に大丈夫ですか?」
 うん。それしか言えなかった。それから10分近く、私達は会話をしなかった。彼は私を心配して話さないのか、それとも私の様子を見ているのか。心臓が破裂しそうだ。もう、駄目だ。これ以上は心臓が持たない。
 ……私の名前、知りたい? 絞り出した声で聞いた。
「は、はい。思い出したんですか?」
 うん。ごめんね、私は貴方を試そうと思ってる。
「試す?」
 落ち着け。落ち着くんだ。吸って、吐いて、最後に飲み込んで。
 ――私の名前は、楠田愛(くすだあい)。
 ……言って、やった。恐る恐る男の方を見る。男は暫く言葉を失っていた。もしかして、聞こえて無かった? な、無いよね? ソンなコト。
「……ぁ」
 僅かに漏れた声の後、暗闇からも分かる勢いで、男は私に近づいてきた。私は思わず、あの時の様に甲高い悲鳴を上げていた。
「アイぽん! 申し訳ありませんでした!!」
 アイ……ぽん? 私の愛称だ。それに、私に触れてこない。じゃあ今のは……目を凝らして見る。下だ。この人、もしかして土下座してる?
「……って何がぽんだよですよね。アイさん、いいや、楠田さん。今までの行い、決して許されるものだとは思っていません。ですが、どうか謝らせて下さい」
 あ、あのぅ……もう、私前にしても大丈夫なの?
「私はあまりにも人として外れたことを犯してしまいました」
 うん。全くだよ。それはそうとして、もう私を前にしても大丈夫なの?
「幾ら記憶が欠如していたからとはいえ、謝罪もせず、私は貴方に失礼なことばかり聞いて」
 スルーなのかなぁ。
「……ですが、そのお陰で、正気に戻れた気がします」
 と言うと?
「貴方の本当の姿をたくさん知ったことで、私のアイぽ……楠田さん像と、現実の貴方の姿が違うことを理解出来たんです」
 そっか。ちょっと寂しいけど、これ以上悪さしないなら良かった。お金は本当に渡すから、このことは他のファンに内緒にしといてね。
「そう言うところ、幻滅しています」
 ふふ、ごめんね。私なんて所詮この程度なんだよっ。
「ですが」
 おじ様は立ち上がると、暗闇でも見えるほどに顔を近づけてきた。出会った当初のおじ様と一瞬重なって、心臓がキューッと悲鳴を上げた。
「ファッションや話芸を学んで、ファンの前で決してイメージを崩さず、私を素敵と褒めてくれた。そんな貴方は、アイぽんタウンに住む令嬢なんかより、よっぽど人間らしく、素敵だと思いました」
 キューッと音を立てていた心臓が、今度はきゅうっと絞めつけられた。本当の自分を褒めてもらうことなんて、何年ぶりだろう。ずっと、ずっと架空の私の姿を見せ続けていたのに。
「もっと早く、本当の貴方を知りたかった。多分、他にもそう思う人がいるんじゃないかなって思います。だから、貴方は今すぐトンネルを抜けて下さい。そして、少しづつでも良いから、さらけ出してみて下さい。本当の貴方を」
 おじ様に手を引かれ、私達は走った。トンネルの出口へと。
 真っ白で、何も無くってドキドキして時々怖い。改めてみると、そんな気持ちになる。
「行ってらっしゃい。応援してます! 楠田さんの、ファンとして」
 何言ってるの? 貴方も行くんでしょう……ねぇ?
「いいえ。貴方によこしまな感情を抱いた上に、貴方の命をも奪おうとした。そんな男に、帰る場所などありません」
 本気で言っているの? そう聞くと、彼は真剣な眼差しで頷いた。
 ……じゃあ、行かない。
「は? な、何言ってるんですか! 貴方は多くの人々の心の支えになってるんです。メンバーだって、貴方の帰りを待ってるはずでしょ!?」
 私は、どうせ誰にも言わないだろうと思って、貴方にだけ本当の自分を話したの。唯一打ち明けられた大切な人がいなかったら私、勇気出して他の人に本当の見せるなんて、絶対出来ないよ。
「ですが……」
 この手は絶対に離さないから。なんて言った時、私の周りに光の粒が舞いだした。体が光って徐々に薄くなっていく。もしかして、本当に死んじゃうの? まぁ、あの状態なら仕方ないか。
 良いの? こんな最強可愛いアイドルがいなくなっちゃっても。ニヤっと笑って挑発した。
 やっぱり不思議、貴方といると、強気に、そして自然体になっちゃうんだから……。
「――っ!」
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