可愛い弟の為に
それから1年が経ち、僕と桃ちゃんはとある有名クリニックにいた。
相談に乗ってくれた紺野総合病院産婦人科医の紹介状を持って。

タイミングを計っても、妊娠の徴候が全く見えない。
何となく、僕の方に原因があるのかなあ、とは思っていた。

クリニックを出た時の沈黙ほど、辛いものはなかった。

不妊の原因は僕が無精子症だった事だ。
人工受精等の方法があるが、桃ちゃんに相当負担を強いる。
僕はその方法を取ろうとは思わなかった。
桃ちゃんが望むなら別だが。

夕暮れ時、二人で雑踏の中、無言で歩くと急に桃ちゃんが僕の手を握り締める。
目にいっぱいの涙を溜めているのを見て僕は決心する。



そのまま無言で家に着いた。



「桃ちゃん」

ようやく沈黙を破ったのは夕食後。
桃ちゃんは洗い物の手を止めて、こちらにやって来た。
いつもなら明るいのに今日はどんより曇っている。

「今日は辛い思いをさせてごめん」

僕が頭を下げると桃ちゃんは思いっきり頭を左右に振る。
でも、何も言葉を発しない。
それだけショックが大きかったのだろう。

桃ちゃんには何の原因もないのにね。
年齢的にも今が一番妊娠するには適している。

それを邪魔するのは僕だ。

僕はフッと息を吐いて言った。

「僕達、別れよう」
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