独りよがり
本当の不幸者はどっち
その日の帰り道、誰かに付けられている気がしたけど、こういうものはたいてい勘違いだと思ってそのままあまり気に止めず帰った。
でも閉めようとした玄関の扉がなんだか重たい。
なんだかイヤな予感がして振り返ると…。
細身で例のメイクをしたピエロが立っていた。
「見つけた、咲子。」
名前を呼ばれて背筋がぞっとする。
「ねーちゃん、そんなとこで立ち止まってなにしてんだよー。」
弟が不思議そうに私を見つめる。
ハッとして扉を勢いよく閉め、ただいまと言ってすぐに自分の部屋へ向かった。
帰り道のあのつけられている感じはやっぱり本物だったのだろうか。
でも町は騒ぐ様子もなく、弟も。
まさか皆には見えていないのか、ピエロは幽霊ではないのに。
私が間違った本を読んだりしたから、またマイワールドから出られなくなっているだけなのかと頬をつねるが、普通に痛かった。
するとレースだけのカーテンに、ゆらゆらと影が映る。
慌てて厚いカーテンも全て閉めたが、改めて恐怖が私を包む。
昼間はあんな偉そうなことを言ったけれど、私は本当にピエロのターゲットになってしまったのだろうか。
食欲も湧かず、ろくに眠りもせず、次の朝を迎えた。
今までにない恐怖に支配されているのに、どこか冷静な私がいて、昨日からずっとピエロをどう受け止めるべきかを考えていた。
学校を休み、昨日の夕方閉めたきりのカーテンを恐る恐る開く。
影はやっぱり見えた。
ガラスの瞳は私を捕らえると、ものすごい勢いで扉を開けようとする。
私はそっと扉を開け、部屋にはまだ入って来ないようにと指示し、しばし会話をする。
「あなたそんなナイフで脅さなくても、話しはできるんでしょう?だったらまず話から。あなたは誰?名前は?なぜ私をつけ回したりするの?なぜ私にしかあなたが見えないの?」
「ネロ。」
しゃがれた声でピエロは答えた。
ネロ…名前はちゃんとあるようで。
「咲子、好き。咲子の傍に行く。咲子しか見えない。好きな人しか見えない。」
恋は盲目的な台詞に聞こえるが、あまり言葉は得意ではないようで、ネロの説明はこれが精一杯だった。
とにもかくにも、私はやはりピエロに好かれたようで、ここまでくると、殺されるか自負した通り愛し方を教えるかのどちらか。
恐らく逃げるという選択肢はない。
私に逃げるという選択肢がないということは、ネロもまたあの物語のように好きな人を自分で殺めて苦しむことの連続なのかと思うと、哀れで哀れで恐怖に勝って泣きそうになった。
私はネロを自分の部屋に招く。
「ネロ、そのナイフ、置いてごらんなさい。まさかそんな身体で私が怖い訳はないでしょ?」
一歩間違えばネロの気持ちを逆撫でして刺されて終わりだが、私はあえてそうした。
ネロが曇りもなければ晴れてもいない瞳のままナイフを置いたのを見て、私はネロを力いっぱい抱きしめた。
「もう、やめな。こんなこと。私があなたの気の済むまでこうしていてあげるから、やめなよ。これ以上傷つくことない。」
私よりうんと背の高いネロがどんな表情をしていたか、私には見えなかったけれど、気づいたら私の服はメイクではない雫でびしょびしょに濡れ、ネロの嗚咽だけが部屋をいっぱいにしていた。
今まで何人の好きな人を消して、失ってきたのだろうと想像すると、胸がきゅうっと苦しくなった。
ごめんね。
拭うことのできない残酷な運命を背負うネロに対して無力だと思うと、私は自然と謝っていた。
ネロを抱えていた腕が少しずつ軽くなる。
あれ…?
ネロの顔からピエロ特有のメイクが消えていく。
いや、それだけじゃない。
「ネロ、あなた、どうしたの?だんだん薄くなってる…。」
「さよなら、咲子。」
スゥッと、まるでなにもなかったかのようにネロは消えた。
あまりに儚い恋愛の一片に、全て夢だったのかと錯覚させられるほど。
でもネロの置いていった冷たいナイフはそれが現実であったことを思い知らせる。
さよなら、ネロ。
自分のしたことが正しかったのかわからなくなりながら、私は心の中でお別れを告げた。
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