さよならは言わない
「台所使ってもいい?」
「あ、ああ」
尊は半分上の空で私の言葉は聞こえているようで聞こえていない。
冷蔵庫の中を物色し適当な材料で簡単な朝食の準備をした。
私も尊もあまり食は進まずかなり食べ残してしまった。
「尊、もういいの? もう少し食べた方が」
「俺はいいよ。絵里がしっかり食べるんだよ」
元気のない声に尊の美香を失った悲しみの深さに胸が苦しくなる。
それでも尊は出勤の時間になるとテキパキと準備を始めあっという間に出掛ける用意が出来ていた。
「絵里、大丈夫なのか? 今日は朝からあまり顔色が良くない」
「大丈夫よ。私より尊の方が心配だわ」
「娘のことなら悲しみは大きいけど乗り越えられない訳じゃない。娘の存在を知ったと同時に失ったのだからショックも倍増しているけどね。君ほどの辛さではないと思っているよ」
尊は私を気遣ってくれたのかしっかりと抱き締めてくれた。
キスこそされなかったけれど、頬を触れあうと尊は暫く私の首筋に唇を当てていた。
甘く熱く感じる唇が首筋を通して体に伝わる。
伝わる熱は少しずつ体全体に広がっていくようだ。
そして、チクッとした痛みを感じると尊は私を解放してくれた。
「なに?」
「べつに、単なる虫除けだ」
尊は私の顔を見ることなく肩を抱き寄せて玄関へと向かった。
首筋にキスマークを付けられたとは知らずに私は尊と会社へと出掛けた。