百鬼百光
だから十八の年というのは
自分の力を試みるという意味では打って付けの機会だと思う
この儀式のために私は日々の修業に励み
未熟ではあるが術も多少は心得た
血が滲むような鍛錬も乗り越えた
村の男にも私に勝る者はいない
そう、全ては
大婆様に恩返しするために
大婆様は親の無い孤独だった私に
手を差し伸べてくれた
そして我が子のように大切に育てて下さった
その優しさの中で育ったせいか
孤独の哀しみはいつの間にか
私の中から消え去っていた
私がここに在るのは大婆様のお陰なのだ