ベタベタに甘やかされるから何事かと思ったら、罠でした。
「瀬尾日奈子ちゃん、だよね」
「え?」
不意に名前を呼ばれて、そらしていた目をまた合わせてしまう。彼はまだ心配そうに私の腕を曲げたりぶらぶらさせたりしながら、柔らかく笑っていた。
「今日入居してきた、瀬尾日奈子ちゃん。かわいいよね名前。あだ名は絶対〝ひなちゃん〟だなーって思ってた」
「あの……?」
あなたは? と訊きたいのと同時に、触りすぎでは……? と言いたくなって口が迷った。さすがに腕はもう大丈夫だとわかるはずなのに、彼は私の手のひらをにぎにぎと触ってくる。
私が特別、男性に耐性が無いというわけじゃない。誰だってこんなに触られたら照れる。
「俺はここの管理人の春海(はるうみ)と言います。初っ端から助けられちゃったけど……。命の恩人だなぁひなちゃんは」
「あ、管理人さんでしたか……。命の恩人は、大袈裟です」
管理人さん若いな……。私とそう変わらないんじゃない? と窺うように見つめても、ふっと微笑み返される。さっきまでの呆れた雰囲気が溶けていく。触りすぎだとそわそわしていた握る手の温度も、馴染んでいく。
春の陽気のなか。転げ落ちた階段の前で二人、地べたにへたりこんだまま。私は笑う彼の顔をぼーっと見つめていた。
「よろしく、ひなちゃん」
それが、
私と管理人、春海さんとの、
運命的と言うには少し格好のわるい出会いでした。