月と負け犬
2
その日は、所謂『外れの日』だった。
例の同級生に待ち伏せされ、殴られたあと、下半身まで露出させられ放置された。まだ誰も来ない校舎裏だからいい。他人に見られたわけでもない。全校生徒の前で脱がされたわけではないのだからマシだろう、そう自分に言い聞かせる。ただ不安なのは、写真を撮られたみたいだということだ。俯いていて直接見てはないが、電子音が聞こえた。もしかしたら、ネット上に晒す気なのかもしれない。今度は脅されるかも。半ば他人事のようにそう思って、校舎を見上げる。
今日は彼女たちは来ていないらしかった。声がしない。窓は開いているが、静かなままだ。
やつらが最後に「ここに毎日いんの?俺らに会いたかった?」なんて言ってたから、そろそろ時間をずらすなり、対策をとったほうがいいだろう。何にせよ、この場所を奪われたくはない。
口に入った土がじゃり、と不快な音を立てる。唾と一緒に吐き捨てると血が混ざっていた。口を少し切ったらしい。あいつらはなかなかに利口で、顔は殴らない。殴ったら教師たちが煩く騒ぐからだ。騒いだとしてもぼくは何も言えない。だって何かを言ったところで、悪化するしかないのは目に見えているから。…少しでも喧嘩が強ければ、もう少しでも口答え出来れば。また違うのかもしれない。それが出来ないからこそ、負け犬なんだ。
そう思考を巡らせて放置され泥まみれになったズボンを履こうと立ち上がったとき、音がした。
上を見上げると、誰かと目が合った。

窓から半分覗かせた顔。
女子だ。
その目は、ぼくをまっすぐに見ていた。

時間にして一秒も無かった。だけどぼくには長く長く感じられた。ドアが閉まる音。
血が引く音を初めて聞いた。
こんな光景を見られたことなんて多々ある。情けない、負け犬の姿を見られることはもう慣れている。
だが、今の女子が彼女かもしれないと思うと、とてもたまらなかった。
彼女だったら。彼女に、知られてしまったら。
彼女じゃなくても、その友達だとしたら。
あの教室で楽しげに話すことはもう無くなるかもしれない。
ぼくの居場所が、奪われてしまう。


気が付くと、帰路途中にある橋の上だった。息が上がっている。ここまでの記憶はないが、ズボンも靴もきちんと履いていた。そこだけは安心してほっとしたものの、やはり頭の中に巡るのは先程の、視線。
感情は読み取れなかった。あの子は何を思っただろう。彼女なのだろうか。顔も知らない彼女だと判断は出来ない。だが。
不安が身体中を巡る。

ああ、ぼくは。
神様、どうしたら。


橋の上で空を仰いでも、鬱陶しい雲しか無く。
一筋の光すら差し込まなかった。

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