明日へ馳せる思い出のカケラ
 いつの間に置かれたのだろう。気が付けば俺は彼が差し出した1枚のチケットに視線を向けていた。
 まるで抜け殻の様に意識が喪失していた俺は、それが何であるのか把握するのに異常なほど時間を要する。
 ただ彼は俺が落ち着きを取り戻すまで無言で待ち続けていてくれた。

「東京……マラソン?」

 覚束ない言葉で俺はチケットに書かれたその文字を小さく呟く。すると彼は軽く微笑みながら、その経緯を優しい口調で俺に話した。

「せっかく当選したんだけどさ、急な海外出向で参加出来なくなっちまったんだ。でも捨てちまうのはもったいないだろ、プレミア物なんだしさ。
 一応会社の奴にも声掛けたんだけど、みんなマラソンに興味なくてね。だからお前さ、良かったらこいつに参加してみないか?
 まぁ、無理()いはしないけどよ……」

 突如告げられた彼からの提案とも呼べる問い掛けに、俺は何も答えられなかった。ううん、彼が俺に何を告げたのか、その意味を理解出来なかったんだ。

 もう何もかもが嫌になってしまった。もう生きる事に疲れ果ててしまった。きっとそんな感じだったんだろうね――。

 彼と最後に何を話したのか。それすらも覚えていない。
 俺の為に彼は貴重な時間を設けてくれたっていうのに、結局のところ最後まで俺は自分の事で目一杯だったんだ。

 急速に天候は回復に向かっているんだろうか。
 ファミレスを後にしてバイトに向かう道すがら、雨はもうほとんど降ってはいなかった。
 風はまだ強いままだけど、傘をさして歩いている人は誰もいない。

 ただそんな中で俺は一人傘をさし続けた。
 恐らくすれ違う人々に顔を見られたくなかったんだろう。まるで生き恥を晒しているかの様に考え込んでしまったから。

 そしてコンビニに着いてからも、俺の気持ちが落ち着くことはなかった。
 いつもと変わらずに冗談を告げる高校生バイトの彼にも、人当たりの良い店長からの呼び掛けにも、何一つ反応することが出来なかったんだ。

 俺っていう存在価値はどこに有るのだろうか。俺の存在意義って何なのだろうか。
 決して見つける事の出来ない自問自答ばかりが脳裏に溢れ返ってゆく。

 もうダメだ。生きる事に何の意味も見つけられない――。

 俺は全てを投げ出してしまいたいと強く願った。何もかもを諦めたいと心の中で大きく叫んだ。その時だった。

「あの……」

 不意に掛けられた女性からの呼び掛けに俺はハッとする。いや、現実を受け入れる事が出来なかった。

 だって俺の目の前に現れたのが【君】だったから――。
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