ばくだん凛ちゃん
「おお、透、子育てはどうだ?」

電話の向こうからホッとする声が聞こえる。
水間 哲人。
大学時代からの親友。
今はK大医学部准教授。

「うん、まあまあ」

「…本当に?」

哲人は鋭い。

「お前が電話してくるなんて、何かあった時だからな」

よく知ってるね。

「今、電話大丈夫?」

僕が聞くと哲人はちょっと待って、と言った。

「もしもし、お兄ちゃん?」

代わりに出たその声はハルの妹、なっちゃん。

「何だ、2人一緒にいたのか」

ちょっと気が緩んだ。

「うん、今日は色々と早く終わったから。
待って、先生と代わるね」

なっちゃん、まだ哲人の事を先生って呼んでいるんだ。
まあ、大学を卒業しない限りは無理か。
あと1年ちょっと、か。

「で、何があったんだ?」

「…くだらない話だからいい」

哲人のため息が聞こえる。

「くだらない話の中に案外重要な情報って隠れているんだよ。
そんな事くらい、知ってるよね?」

うん、知ってるよ。
知ってるから、急に言いたくなくなったんだ。
僕の弱さが出てしまう。

「奥さんと喧嘩でもした?」

「…うん、少し。僕が一方的にハルに当たった」

「へえ、透もそんな事するんだ。意外だね。
まあ、今までと環境が違うし、それは多少あるだろう。
…でも、お前が本当に悩んでいるのはそんな事じゃないよね」

哲人、相変わらずそうやって人を誘導するの、上手いよね。
お前には何も隠せない。

「…もし、哲人。
お前たちに子供が出来たとき、お前がその子供の健診をする?」

「…お前はしないのか?」

哲人の返しは鋭い刃物のように僕の胸を刻む。

「しようと思ったけど、もし自分が何か病気を見つけたらどうしようとか。
いつもなら絶対に悩まないことで悩んで戸惑っている」

しばらく、沈黙が続いた。
哲人は大きくため息をつく。

「お前が発見する方がいいに決まっている。
きっとお前は全力で自分の子供を助けに行くだろうし。
他人の、小児科医が見つけるよりはいいだろ?
俺なら自分でするね。
自分の子供の健診なんてそんな嬉しいこと、ないもん」

そっか、そうだよねえ。

「それよりも、俺が気になるのは子供の事じゃない。
奥さんの事だよ」

「えっ?」

哲人はクスクス笑う。

「お前、ちゃんとアドバイス出来るの?自分の奥さんに。
解っていると思うけど、小児科医は子供のケアだけじゃないぞ。
両親、特にお母さんのケアが大事なんだぞ?
お前、他のお母さんにアドバイスするみたいに奥さんにも出来る?
照れちゃ駄目だよ!」

「あ、そうだよね」

「透、本当に大丈夫か?」

「うん、多分」

僕がそんな風に言ったから哲人は心配そうに

「いつもの透じゃない…」

とため息交じりに言った。

「まあ、でも透の悩んでいる原因はそこかな。
いつも通りやればいいんだよ。
奥さんの事、愛しすぎて表現に戸惑うかもしれないけれど。
他のお母さんのように上手く言えないかもしれないけれど。
凛ちゃんのお父さん、ハルさんの旦那でもあるけれど。
健診の時は紺野総合病院の小児科医、高石 透先生だよ。
意識し過ぎは禁物だ。お前らしく行けよ」

「うん、ありがとう」

本当に哲人はよくわかってくれている。
凛が生まれたときは興奮状態が続いて、色々と自分でしていたけれど。
ふと我に返って冷静になった時、僕は闇に落ちてしまったみたいだ。
プチ鬱状態を哲人は察してくれた。

「また何かあればいつでも電話しておいでよ」

「うん、ありがと」

また電話するし。

「あ、そうだ!
凛ちゃんがもう少し大きくなって、まとまった休暇が取れそうならこちらにおいでよ。
お前もよく知っているだろうけど海も近いし。
夏くらいに来いよ、待ってる」

「そうだね、なっちゃんの事もあるしね」

「そうそう。
それまでお前、潰れるなよ?」

「うん、頑張る」

「いや、それ以上は頑張らなくていいから」

哲人らしい台詞だ。

「じゃあ、透。
早く家に帰れよ?
まだ帰ってないんだろ?」

「うん、今、車の中」

病院の駐車場に停めてある車の中で僕は電話をしている。

「気を付けて帰れよ」

「本当にありがとう」

通話を切って僕は大きく呼吸をした。

うん、とにかくやるしかないか。

そう言い聞かせて僕はエンジンを掛けた。
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