夕月に笑むジョリー・ロジャー
「…………頑張ります」

それだけを小さく口にしたのが、最後。
たどり着いた鏡の前で鏡面に向けて右手を伸ばせば、指先から水に浸かったかのようにずぶりと沈み込んでいく。
通り抜けた先はしっかりと乾いている気がするから、水中ってわけじゃあないんだろう。

行き先がどこかは分からない。
だけどもう、行くしかなかった。

勢いをつけることもせず、鏡の向こうへとゆっくり進む。


『──朝希』


一瞬、幸せそうに呼びかけるお母さんの声が聞こえた気がしたけれど。


多分もう、その名前も声も、耳にすることはないだろう。



* * * * *



少女の姿が鏡の向こう側へ消えて間もなく。
一連の行動を無言で見守っていた男性のうち、二十歳前後の青年が、ゆるりと傍らの女性を見上げた。

別の男の首元を撫でる彼女へと向けられたのは、心配しているとも不振がっているとも取れるような表情だ。

「……宜しいのですか」

問いかけに女性は反応を返さない。
それは聞き逃しているのではなく、単にその先を促しているのだということを、青年はよく知っていた。

だからこそ彼女の態度に表情を変えることはせず、そのまま質問を続けていく。

「いくら指示をしてきた相手が相手とはいえ、あの娘は自らの運命を受け入れた身。そこまでのご配慮をする必要も……」

「構わないわ」

遮り響きわたった声は、酷く上機嫌なもの。
他の者には決して聞こえはしなかった声の主と会話をしていた際の態度とは打って変わったその雰囲気に、他の男性達の視線も彼女に集中した。

しかし全員分の瞳を向けられて尚彼女が調子を崩すことはなく、手遊びをやめた彼女は、改めてゆったりと椅子に横たわる。

「よくよく考えてみれば──これは私にとっても中々の好機」

艶やかに目を細めつつ、何処か遠くへと視線を向ける。

その先にあるのはただの壁だ。
そんなものを見ているのではないことを聡い青年は悟っていた。

いくら美しい装飾を施されていようとも、彼女の心を十分に満たすまでには至らない。
彼女に充足感を覚えさせるのは、もっと別のものなのだ。

「上手くあの子を利用すれば──」

続きは決して紡がれない。
紡がれないが、しかしその橙に光る双眸の奥、仄暗いものが力強く宿されているのを見て取って、青年は思わず息を飲む。

彼らが皆一様にして口を噤み、女性を眺め続ける中。

その中心にいる彼女は、ただただ意味ありげな眼差しを湛え、含んだ笑みを浮かべていた。



title by 『レイラの初恋』
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