スノー アンド アプリコット

気を害した様子もなく、一井は手を引っ込めてそう言った。

「一井秀俊さん。知ってる? 有名なシェフで、六本木にお店出しててね。テレビなんかにもよく出てるのよ。」

あたしは自分のことみたいに得意げに話してやる。

「このあたりに二号店を出すから、区役所で色々手続きがあって、出会ったの。」
「………」

ユキは不審そうに、値踏みするように、また一井を見た。一井は動じない。いいわよ、その調子。

「幼馴染みなんだって? ご挨拶が遅れてごめんね。」

なんて余裕綽々な態度。ユキの神経が逆撫でされているのがよくわかる。一井の話し方は、程よく他人を見下しているように感じさせるのだ。

「あたしは、忙しいのにわざわざあんたに会ったりしなくいいって言ったんだけど。この人、優しいから。」
「話はそれだけか。こんな所に呼び出して。」

それに引き換え、ユキの声は不機嫌そのものだ。だからガキだっていうのよ。

「それだけっていうかさ、わかってくれたらいいんだけど。」
「は?」
「君の気持ちはよくわかるさ。」

一井がにっこり笑って言う。
教師が生徒に言い含めるみたいな口調で。

「でもね、杏奈は僕と結婚するんだ。だから、杏奈のことは諦めてくれないかな。」

沈黙。
一井はさり気なく、ユキの反応を見ている。次のセリフを考えているんだろう。
うーん、使える奴。あたしは満足した。

「ーー諦めてくれ?」

だけど、ユキの顔色は全く変わらなかった。

「それはこっちのセリフだな。」

言い捨てて、あたしを見た。

「帰るぞ。」
「は? 話聞いてた? ちょっと予定より早いけど、あたしこの人ともう一緒に暮らすことにしたから。」
「てめえ…」

ユキは低く言った。

「俺にこんな手が通用すると思ったか。」

いつの間にか、怒りに燃えていたはずのユキの目が、氷点下にまで下がっていた。
この目は、見覚えがある。

あたしを、組み敷いて見下ろした時の…
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