夢を忘れた眠り姫
不動産屋さんにくっついて退去の立ち会いに来ていた大家さんが、眉尻を下げながら言葉を発する。


「永井さんはきちんとした店子さんだったから、マンションになった後も引き続き住んで欲しかったんだけど…」

「私もです。でも、色々と事情がありまして」

「分かってるわ。仕方ないわよね。新しい場所でも元気でいてね」

「はい。ありがとうございます」


そして不動産屋さんに鍵を返し、待機していたトラックの助手席に乗り込んで、約5年過ごした古巣を旅立つ。

その数10分後、貴志さんのマンションへと到着し、荷物を運び入れ、お昼前には無事引っ越しは完了していた。


「あっけなく終わったな」

「はい」


さっそく荷ほどきを始めた私に、ドアを開け放ったまま、部屋の戸口から貴志さんが話しかけて来た。

むやみやたらに入室しないように気をつけているのだろう。


「荷物、ほんとに少ないんだな。テレビはないんだ?」

「ケータイのワンセグで事足りるので。それに元々私、がっつりテレビを見る習慣ってないんですよね。その時間があるんだったら小…」

「ん?」

「あ。な、何でもないです」


慌てて話題を打ちきり、目の前のダンボールに改めて向き直った。


「何か手伝う事はある?」

「いえ、大丈夫です。大物は引っ越し屋さんが設置していってくれたし」
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