偽りの姫は安らかな眠りを所望する
後頭部に添えられたフィリスの片手は、押し退けようと思えば簡単にできそうなほど遠慮がちだ。だが、彼自身から立ち上る薔薇の香りが、ティアの思考を鈍らせる。結果的には、自分からフィリスの胸に頬を押しつけていた。

もう片方の腕が背中に回り、フィリスがティアの頭に額をつける。今朝、意気揚々とコニーが結い上げてくれた髪は、一日を過ごして崩れかけていたので解いてしまっていた。背中に流れる腰の強いまっすぐな髪を片手で梳きながら、ふっと鼻で笑ったフィリスの息が熱く地肌に届いて身を捩る。

「やっぱり私は、薔薇よりもティアのこの匂いの方が好きだな」

髪につけた香油か、衣類に移った石鹸の香りか。フィリスが自分の薔薇の香りに気づかないように、ティアもまた、自分がどんな匂いを発しているのかよくわからない。「好きだ」といってくれるのだからおかしなものではないと思いたいが。

不安に駆られたティアがおもむろに顔を上げると更に強く抱き寄せられて、フィリスは細い首筋に顔を埋めた。彼女の匂いというよりも存在を確かめるように、鼻先をつけてくる。拍子に熱を持った柔らかな唇までもが素肌に触れて、ティアはびくりと肩を揺らした。

熱がゆっくり離れていくのを感じて眉根を寄せるティアの頬を、フィリスの指がひと撫でする。

「すまなかった。また怖がらせてしまったようだ」

後悔を滲ませ曇らせた彼の表情で、ティアは自分の目から涙が零れていたことに気づいた。

「違っ……」

言葉にしてはいけない想いを飲み込み、ふるふると頭を振るだけで俯いてしまったティアの額を、フィリスの口づけが掠めていく。

「今日はとても楽しかった。ありがとう、ティア。いい夢を」

柔らかく肩を押されて退室を促されたティアは、無言で頭を深く下げる。

部屋を出たあとも、身体中に薔薇の香りがまとわりついて離れなかった。
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