偽りの姫は安らかな眠りを所望する
芳香器に精油を垂らした瞬間、部屋全体に広がった香りに、フィリスが目を瞠る。
「あの薔薇で作った精油があったんです。まだ一本だけですが」
いつものように寝台にいるフィリスの手の中へ、ティアは小さな瓶を渡した。彼の祖父が見つけた薔薇を叔父が育て、そしてマールが精製した花の精油。
この小瓶には、中身よりもずっと多くの人の想いが詰まっている。
フィリスにとって、あの丘に咲く花に限らず、すべての薔薇の芳香は母親の思い出と繋がっている。だからこそ長年避けていた香りを、今の彼にならもう渡しても大丈夫だとティアは思えたからだ。
白薔薇館での最後の夜。ティアは、香茶も香油もすべてを薔薇主体で調合していた。
「ここまで薔薇尽しだと、さすがに匂いに酔いそうだ」
そうフィリスが苦笑するほど、彼の私室を甘く高貴な香りが包む。
初めて施術した時よりも体温が上がり血色も良くなった彼の手を、いつも以上に丁寧に揉みほぐしていった。まるで指先に薔薇の花びらを貼り付けたような爪になるまで磨き上げる。
「また眠れない日が続きそうだ」
とろんとした目差しで、自分の手とそれを包むティアの両手を見つめ、フィリスは弱気な発言を漏らした。王都に行けば、心身ともに過酷な日々が待ち受けていることを予想したのだろう。
明日からは、このようにティアが彼の疲れを癒やすことは不可能となる。ならばせめて、香薬師としてフィリスのためにできうることを。
「では、出発の前にとってもよく効く香薬をお渡ししましょう。……終わりです」
最後の約束をして放そうとしたフィリスの手が翻り、ティアの手を掴む。反動で椅子から浮いた腰ごと寝台の上に引き寄せられて、半身を起こしていたフィリスの胸の中に収まってしまった。
「あの薔薇で作った精油があったんです。まだ一本だけですが」
いつものように寝台にいるフィリスの手の中へ、ティアは小さな瓶を渡した。彼の祖父が見つけた薔薇を叔父が育て、そしてマールが精製した花の精油。
この小瓶には、中身よりもずっと多くの人の想いが詰まっている。
フィリスにとって、あの丘に咲く花に限らず、すべての薔薇の芳香は母親の思い出と繋がっている。だからこそ長年避けていた香りを、今の彼にならもう渡しても大丈夫だとティアは思えたからだ。
白薔薇館での最後の夜。ティアは、香茶も香油もすべてを薔薇主体で調合していた。
「ここまで薔薇尽しだと、さすがに匂いに酔いそうだ」
そうフィリスが苦笑するほど、彼の私室を甘く高貴な香りが包む。
初めて施術した時よりも体温が上がり血色も良くなった彼の手を、いつも以上に丁寧に揉みほぐしていった。まるで指先に薔薇の花びらを貼り付けたような爪になるまで磨き上げる。
「また眠れない日が続きそうだ」
とろんとした目差しで、自分の手とそれを包むティアの両手を見つめ、フィリスは弱気な発言を漏らした。王都に行けば、心身ともに過酷な日々が待ち受けていることを予想したのだろう。
明日からは、このようにティアが彼の疲れを癒やすことは不可能となる。ならばせめて、香薬師としてフィリスのためにできうることを。
「では、出発の前にとってもよく効く香薬をお渡ししましょう。……終わりです」
最後の約束をして放そうとしたフィリスの手が翻り、ティアの手を掴む。反動で椅子から浮いた腰ごと寝台の上に引き寄せられて、半身を起こしていたフィリスの胸の中に収まってしまった。