偽りの姫は安らかな眠りを所望する
ティアが人としてあたり前だと思っていたこと。でもそれがそうではない世界がある。
もやもやと胸中を渦巻く複雑な思いが、ティアの顔には素直に現れてしまう。

「ああ、心配しないで。乳母がいたからとくに不自由はなかったよ。それに僕にはフィリス様と違って姉上がいたからね」

ルエラへと移したラルドの目差しが、エレノアを見たときとはガラリと変わる。嘲りや諦めが滲んでいたものから、敬愛と思慕が溢れんばかりだ。

「ちょうど先王陛下が体調を崩された時期と重なり、父も多忙で家のことなど構っている余裕がなかったんだろうね。そんな僕を不憫に感じたのか、姉上は必死になって両親の代わりになろうとしてくれた」

まるでその場にいるかのように、描かれたルエラに右手を伸ばす。が、唐突にその手が硬い拳に変わった。
ラルドがギリリと音が聞こえてきそうなほど歯噛みする。

その変わりように気圧され思わず半歩身を引いてしまったティアに、ラルドはゆっくりと身体を向けた。

「幼かった僕にとって、姉は世界のすべてだったんだ。彼女には幸せになってもらいたかったのに。卑しい男になど唆されたりしなければ、王妃という至高の座に着けたかもしれないものを」

冷めたい目でティアを見据える。正確には、ティアの中にいる人物を――。

「姉上は、後宮入りを目前にして駆け落ちしたんだよ。即位の式典に臨席するために訪問した、バルダロンの王族に随行していた騎士とね」

バルダロン王国とは、ティアたち家族が住んでいたサランよりさらに南の国。そこに住む人たちの髪や瞳の色は、漆黒や濃紺など濃いものが多い。

ハッとしてティアは下ろしたままの髪に手をやる。この髪と瞳は父、アルベルト譲りのものだ。

濃紺の髪をひと束掬い上げたラルドが、それをいきなり握り締めた。

「痛いっ!」

強く引っ張られティアの頭が傾ぐ。ラルドは構わずに、もう片方の手でティアの顎を掴み上を向かせた。
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