偽りの姫は安らかな眠りを所望する
彼の理不尽な行いに怯えの色を浮かべるティアの夜色の瞳が、底の見えない深い湖のような瞳に搦め捕られる。

「本当に忌々しい色だね。髪も、瞳も。顔立ちはこんなに姉上にそっくりなのに」

やっと髪から離された手が、今度はゆっくりと頬をなぞっていく。ティアの背筋をぞわぞわと悪寒が走った。

「あの男さえいなければ、今頃姉上はなに不自由なく王宮で幸せに暮らしていたはずだった。異国の田舎で疫病に罹るだなんて、つまらない死に方をしなくても済んだのに」

苦々しげに歪められたラルドの顔が目の前に迫り息を呑む。
一瞬ティアから視線を外したラルドの薄い唇の両端が、ゆるやかに持ち上がった。

「ティア、君の母親が陛下との縁組から逃げ出したりしなければ、ロザリー様もくだらない争いに巻き込まれて、無駄死にすることもなかった。――そうは思いませんか?」

ラルドが、先ほどまでは無人だったはずの空間に言葉を投げる。
動かせる瞳だけをそこへ向けたティアは、暗がりでもなお輝きを放つ艶やかな髪と雪よりも白い美貌をみつけた。

「……フィリス様」

「戻りがあまりにも遅いから探しに来た。……それは、どういうことだ?」

白さを通り越して青ざめた顔で近づいてくる。反対にラルドは悠然とした笑みを浮かベながら彼を迎えた。

「そのままの意味ですよ。あなたのお母上は、ティアの母親の身代わりになったのです。そして、人間の欲と嫉妬に殺された」

「なぜ……」

困惑した目を向けられ、ティアは力なく首を横に振る。自分だって、たったいま聞かされたばかりの話だ。

「当然の如く両親に猛烈な反対を受けた姉は、親友の窮地を利用したんでしょう。質の悪い男に引っかかり我を忘れていても、ヘルゼントの家の人間だったということですね」

「そんなっ! 母さんは友だちの不幸を利用するような人ではありません!!」

「姉上は自分が姿を消した後、どんなことになるかくらい予想できたはずだよ。追い詰められたロザリー様があの父を頼れば、どんな結果になるのかも」

ラルドが薄ら笑いを浮かべてティアを見る。

「そしてロザリー様も、家と弟を守るためにそれを受け入れた。ただそれだけの話」

自然の理を説くように語るラルドの言い分は、ティアにはまるで理解ができない。

「母さんは愛した人と一緒にいたかっただけ。それのどこがいけないんですか?」

だが、彼女の中にある当然の道理も彼には全く通じなかった。

「愛とか恋とかなんて、そんなものは関係ない。僕たちの世界はね、打算と保身でできているんだよ。ねえ? フィリス様」

水を向けられたフィリスが、僅かに眉を動かしティアからふいと目を逸らす。
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