ここで息をする


その姿を見て、羨ましそうに真紀が言う。


「いいなぁ、あたしも早く泳ぎたい! 出席番号順とか最悪すぎ」

「真紀、出席番号後ろの方だもんね。もう少しの我慢だよ」


早く水の中に行きたくてうずうずしている気持ちが空気を介して伝わってくる。

暑いからというのもあるけど、真紀は体育会系で身体を動かすのが好きらしいから、待つより泳いでいる方がいいのだろう。人が泳いでいる姿を見て、気持ちが高ぶっているみたいだ。


……そして皮肉なことに私の奥底でも、微かだけど確かに、同じ気持ちが蠢いている気配がした。待ち望んでいるように速まる鼓動がそれを示していて、落ち着かせようと自分の身体を抱き締める。

それでもなお私の身体は、一度手放したはずのこの世界を目の前にして期待するように疼いていた。手を伸ばせば届くぐらいすぐそばにあるそれを、強く求めるように。

散々遠ざけてきたくせに、私は今、この水の世界に入り込もうとしている。しかも情けないことに、その瞬間を前にして高揚している。

そんな自分が憎らしくて、馬鹿馬鹿しくて……何だか笑えた。


先に全員で準備体操は終えているけど、隣で待機している真紀はその場でさらにストレッチをして準備を整えている。待ちきれないと言わんばかりのきびきびした動きで念入りにストレッチをする姿は、完全にやる気満々だった。

おまけに準備体操だけでは不十分な箇所もきちんと伸ばしているところを見て、さすが運動部に所属しているだけあるなと感心する。

運動全般のウォーミングアップは怪我の防止や身体機能を高める上で欠かせないものだけど、水泳は特に注意して行う方がいい。万が一水の世界で自由が効かなくなれば、それはとても危険なことだから。


……私も、もう少し伸ばしておこうかな。

真紀に刺激されてふと思い立ち、私もゆっくり丁寧に身体を伸ばし始めた。


< 23 / 151 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop