ポラリスの贈りもの

(Y・マルセイユ総合病院4階。七星の病室)


潤む私の目に最初に飛び込んできた光景は、
高く大きなベッドに横たわる北斗さんの姿だった。
オフホワイトの壁に縦長の重厚な窓。
壁に埋め込まれた酸素のバルブに、
ベッド脇からぶら下がる点滴と管。
静かな部屋に規則正しく呼吸する北斗さんの呼吸音だけが聞こえ、
眠っていても「僕はここに居る」と発信しているように感じた。


流星「兄貴。星光ちゃんが逢いに来たぞ」
星光「七星、さん……」


私は流星さんに促され支えられながら、
震えて覚束無い足でよろよろしながらも、
ゆっくりベッドに近づいた。
聞こえる北斗さんの呼吸もどんどん近くなって、
静かに眠る彼の穏やかな寝顔を見た途端、涙が泉のように溢れ出す。
彼の頬や額、手の甲にはたくさんの赤く小さな擦り傷があって、
左手の真っ白い包帯も痛々しい。
それだけでも事故のすさまじさは想像できる。
ずっと逢いたかった北斗さん。
早く触れたかったこの大きな手。
あの日。
勝浦でカメラを構えた凛々しい姿を最後に見てからずっと、
胸の中にしまいこんでいた切なく膨れる愛しい想い……
私は恐る恐る北斗さんの力ない左手を取った。
両手に彼の温もりが伝わると涙は尚も溢れて、
私の頬につけた彼の手まで濡らしていく。


流星「兄貴さ。
  自分も怪我して思うように泳げなかったはずなのに、
  最後まで負傷者を抱えて助けてたって、
  浮城さんが助かった他のスタッフから聞いたそうだ」
星光「えっ」
流星「勝浦でカレンと水野が溺れた時もそうだったし、
  いつも自分のことより他人のことを優先するんだ。
  兄貴は……」
星光「七星さん。
  (貴方はどうして……)」
浮城「流星。東さんが呼んでる」
流星「わかった。
  星光ちゃん、ちょっと行ってくるから兄貴を頼むね」
星光「はい」



流星さんは私に北斗さんを託すと、東さんのところへ向かった。
私はベッド脇にある椅子に腰かけ、
北斗さんの手を再び握りしめると、彼の手を自分の頬に優しく当てる。
ゆっくり目を瞑ってしばらくの間、眠っている彼の呼吸を聞いていた。
今まで言いたくても言えなかった北斗さんへの想い。
キャパを超えてしまった私のハートは、
とうとう我慢しきれずに閉じていた口から漏れ出したのだ。
聞いてはもらえないと分かっていながら、独り言を言うように…


星光「七星さん。
  私が、夏井ヶ浜の岸壁に立った時もそうだったね。
  下手したら、自分だって落ちちゃうかもしれないのに……
  体当たりするように、私を助けてくれた。
  こんな臆病で自己中で、
  自分のことで精一杯のどうしようもない私にも、
  貴方は捨て身で飛び込んできてくれて。
  私ね、七星さんのことが、出逢った時から好きだったの。
  知ってた?人生初の一目惚れだよ。
  それから……貴方に逢えば逢うほど好きになって、
  触れれば触れるほど息ができなくなるくらい苦しくて大変。
  それでも本当は、ずっと貴方の傍に居たかったんだよ。
  貴方に拒否られるのが怖くて、嫌われたくなくて、
  今まで言えなかったけどね……
  いつも身勝手なことばっかりしてごめんね。
  ずっと辛い想いをさせてしまってごめんね…
  七星さん、聞いてる?
  私……貴方を愛してる。
  心から愛してるの……
  私ってバカだよね。
  どうしてもっと早く素直になって、
  七星さんにこの気持ち、伝えなかったんだろう…うぅ」
七星「すーっ。すーっ……」


暫く北斗さんをじっと見て、彼の穏やかな呼吸音を聞く。
北斗さんへの恋しい想いが全身の血管を駆け巡り、
両足の裏を突き抜けて地面にめり込んでしまうかように落胆する私。
ベッドの淵におでこをつけて、小さく嗚咽を漏らす。
体中の水分がすべて、
涙に変わってしまったのではないかと思うくらい、
どんどん私の目から溢れて出て、頬を伝って床に落ちた。
そんなボロボロの私に、北斗さんの呼吸音は力強く聞こえ、
まるで「大丈夫だよ」と宥める様に、
私の耳を通って胸の奥まで響いていたのだ。



(Y・マルセイユ総合病院4階。七星の病室前の廊下)


廊下では、私のことを心配するカレンさんと、
浮城さんが壁に凭れ待っていた。
少し開いたドアの向こうから、時々漏れる私の泣き声で、
カレンさんまで貰い泣きし目いっぱいの涙をためている。
すると、深刻そうな表情をした看護師が数名、
カレンさんと浮城さんの前を話しながら通りすぎた。


看護師A「4Aの11?海難事故の負傷者ね」
看護師B「救急搬送されたとき、
   トリアージ・タッグがレッドだった日本人の患者よね」
看護師A「ERに入った時はCPAだったって、ニコールから聞いたわ」
看護師B「そう。それじゃ回復は難しいかもね……」

ひとりの看護師が覗き窓から北斗さんの病室をちらっと見て、
すれ違いざまにぼそっと話した内容を聞いていた、
カレンさんの顔色が急に変わる。
それは二人がマルセイユ入りしてからも知らなかった、
誰にも知らされていない北斗さんのもうひとつの事実だった。

(続く)


この物語フィクションです。
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