ポラリスの贈りもの
67、Stand by me -僕の傍に居てー

一瞬、何が起きたのか分からなかったけれど、
それは紛れもなく北斗さんの声だった。
流星さんは私を支えながら立ち上がり、
離れるとゆっくりベッドへ近づく。
ふらふらしながらやっとのこと立っている私は、
驚きと突然の出来事にすぐに動くことができなくて、
その場に茫然と立ったまま、
流星さんの後ろ姿と横になっている北斗さんの左手を見つめた。
やはりその指先は微かに確かに動いている。


流星「兄貴?」
七星「……」
流星「兄貴、俺が分かるか?」
七星「……」
流星「兄貴!」
七星「流星……」
流星「兄貴……気がついたんだな!
  本当に気がついたんだな!」


泣きながら北斗さんの手を握る流星さんの必死の呼びかけに、
始めは焦点の合わない顔つきの北斗さんだった。
けれど大きな息をした後、二回程ゆっくりと瞬きをした。
そして夢を見ているような表情から、緩やかに安らかな笑みへと変わる。
流星さんは腕で涙を拭き、傍観する私の傍に来て肩に手を回すと、
ゆっくりとベッドに居る北斗さんへと導いた。


流星「星光ちゃん!
  ほらっ、兄貴が戻ったぞ!」
星光「戻った……」
七星「……」
流星「俺、看護師を呼んでくるから兄貴を頼むな!」
星光「は、はい」
流星「すぐ戻ってくる!」


椅子に掛けてあったショルダーバッグから携帯を取りだすと、
流星さんは慌てて病室を飛び出していった。
もしかしたら、これは夢かもしれない。
さっきのように涙ながらに問いかけても、
答えてはくれないかもしれない。
病室に残された私は、目を瞑る七星さんに恐る恐る声をかけた。
すると微かに彼の目は開き、少しだけ左を向くと口を動したのだ。
私の耳に聞こえたその声は、
まだ充分とは言えない弱々しいものだけど、
確かに北斗さんの生還の声だった。
私はその言葉をもらすまいと、
覗き込むように彼の顔に近づき名前を呼んだ。


星光「七星さん?」
七星「やぁ。星光ちゃん……」
星光「七星さん。あぁ。気がついてよかったぁ……」
七星「君が……居るってことは、ここは、日本?
  僕は、東京に……戻ったのか」
星光「ううん。ここはフランスのマルセイユよ。
  七星さんは、撮影の移動中に事故に巻き込まれたの」
七星「撮、影?……そうだ。料理の撮影は……
  思い切り寄って、皿を切る。
  フラッシュは……使わない」
星光「えっ」
七星「光は、逆光で……アングルは、
  斜め上、45度から撮る……
  すると、料理は……新鮮で、みずみずしく、
  綺麗に、撮れるんだ……」
星光「七星さん?」
七星「僕は、ベジタリアンじゃないから……
  食べに、行こうな、一緒に……」
星光「七星さん……私の話、聞こえてたの?
  私のくだらない話を、ずっと聞いてくれてたの?」
七星「聞こえて、いたよ。星光ちゃん。
  僕は……傍に居るから、もう……泣かなくていい」
星光「うん。うん……」
七星「星光ちゃん……もう、居なくなるな……
  ずっと……僕の傍に……居てほしい」
星光「七星さん……うん。
  私、もう逃げたりしないからね」
七星「あぁ……」

私の頬を触れる大きな手。
決して滑らかな動きではない北斗さんの左手は、
スローモーションのように私の頬に触れる。
そして流れ落ちる涙を優しく拭った。
北斗さんの冷たい指先の感触と発せられた一語一句が心にしみて、
喜悦の情で胸がいっぱいになった私は、
彼の左手を握りしめると祈るように泣き伏した。
私を見つめる彼の優しい微笑が何より嬉しい。


星光「七星さん、ありがとう……
  (あぁ、神様。七星さんを助けてくれてありがとう。
  そしてお母さん、ありがとう。
  お母さんの言った通り、私の声は彼に届いてたよ……)」



当直の医師と看護師が数名、病室に駆けつけると、
北斗さんの奇跡的な回復に一瞬驚きの声が漏れた。
すぐに診察を始め、手際よく適切な処置が行われる。
医師の問いかけに弱々しく答える北斗さんの声がすると、
看護師の顔にも安堵の表情が窺え、
皆がハグし合い拍手しながら喜んだ。
私は病室の隅で両手を合わせ、
彼に治療を施すスタッフに心から感謝した。
間もなくして、連絡を終えた流星さんが戻ってくる。
すぐ駆け付けた浮城さんやカレンさんは、
嬉し泣きしながら北斗さんに詰め寄り、
時間差で病院に到着した東さんと神道社長も、
彼の手をとりながら喜びの表情を浮かべた。
北斗さんの声と共に色彩を取り戻した病室は、
歓喜が怒涛のように押し寄せ、
華やいだ空気へと変わっていったのだった。



翌日。北斗さんの精密検査が行われ、
医師から移送OKの診断を貰った神道社長は、
即座に日本のサポートスタッフの派遣を要求する。
二日後、海外医療支援の専門医が到着すると、
すぐさま帰国支援の活動が行われた。

東さんはフランスに残り、
浮城さん、カレンさんと共に事故処理の仕事へと戻ることとなる。
私は、流星さん、神道社長と、
搭乗手続きを済ませると三人に挨拶をした。


(シャルル・ド・ゴール国際空港、出国ロビー)


星光 「カレンさん、浮城さん。本当にありがとうございました。
   お世話になりました」
浮城 「星光ちゃん。こちらこそ、カズのことありがとう。
   お母さん、ナイスアドバイスだったな」
星光 「はい(微笑)」
カレン「星光さん、また暫くお別れね」
星光 「カレンさん、本当にありがとうございました」
カレン「こちらこそ。貴女の頑張りには脱帽したわ。
   貴女の声が、本当に昏睡状態だったカズに届くなんて」
星光 「カレンさんや皆さんの支えと母のお蔭です。
   それに、七星さんの生命力……」
カレン「そうね。でも、それだけ貴女の愛が深いってことよ。
   これからはカズをしっかり支えてあげて。
   もう二度と握った手を離しちゃだめよ」
星光 「はい」
カレン「元気でね。根岸くんの結婚式でまた会いましょう」
星光 「はい。カレンさんもお元気で。浮城さんとお幸せに」
カレン「ありがとう」
星光 「東さん、お世話になりました。
   本当にありがとうございました」
東  「こちらこそ、ありがとう。
   君のお蔭で、七星は助かったよ」
星光 「いえ」
東  「僕ももう一仕事終えたら、すぐ日本に戻るから、
   帰ったらゆっくり話そうな」
星光 「はい」
神道 「星光さん、そろそろ行くぞ」
星光 「はい。では、失礼します」
東  「気をつけて。七星を頼むよ」
星光 「はい(微笑)」


カレンさんは、涙ぐみながら飛びつくように私にハグをした。
そして出国審査を終えた私たちの姿が見えなくなるまで、
ロビーで手を振っていた。
ストレッチャーに横になった北斗さんは、空港まで救急車で搬送され、
空港に到着すると、派遣された専門医師や看護師数名が付き添い、
リフトローダーで機内に搬入される。
機内に入ってからも、医師たちは病態を慎重に観察しながら添乗し、
飛行機の乗務員達も心優しく北斗さんを見守っていた。
そしてすべての準備が整ったジェット機は、
シャルル・ド・ゴール国際空港のターミナルを離れ、
羽田に向けて飛び立ったのだった。


12時間40分のフライトを終えて羽田に到着すると、
大学病院の救急車が準備をして待っていた。
北斗さんは皆が見守る中、
流星さんと医師に付き添われながら救急車に乗り、
何事もなく新宿のTM大学病院へ搬送された。
そして私は、神道社長の車で病院へと向かったのだ。


フランスから帰国して1週間後、私は福岡の地へと戻っていた。
つねばあちゃんや敦くんとも真面に話せないまま、
荷物もほったらかし、
仕事も途中で投げたままでフランスへ向かったからだ。
糸島へ戻ると、二人はとても喜んで温かく迎えてくれた。
しかし、私が出た時とひとつ違っていたのは、
なごみの裏にある空き地に、
建築途中のログハウスが建っていたことだ。
次のオーナーの作業場ができるのだと、後に敦くんから聞かされる。
私は久しぶりに岩の上に座って、遠い目をして玄界灘を眺めていた。
転院した病院のベッドで眠る北斗さんの顔と、
病院へ向かう車の中で言われた、
神道社長の言葉を想い出しながら……


〈星光の回想シーン〉


(神道の車中)


神道「星光さん。また福岡へ戻るのか」
星光「はい。あと少しですけど、まだ民宿のバイトが残ってるんです。
  荷物もそのままで慌ててフランスへ行ったもので」
神道「そうか。今から話すことは、
  日本を出るときには言えなかったことなんだが、
  君が退社手続きをした時に、
  パスポートを渡さなかったのには理由がある」
星光「理由、ですか?」
神道「ああ。実は、君はまだうちの社員なんだ」
星光「えっ!?それって、どういうことですか」
神道「七星と流星から、
  君を解雇しないで休職扱いにしてくれと懇願されてね。
  七星がフランスに行く前日、
  『君と重なるとき』という写真集を持ってきた。
  写真集に使用した写真は君が撮ったものもあって、
  こうやって裏紙面に名前が載るくらい、
  彼女はうちの歴としたカメラマンだと言ったんだ」
星光「カ、カメラマンなんて(焦)そんな恐れ多いです!
  私はただ、東さんに教えてもらったままシャッターを押しただけで、
  流星さんから渡されるまで、
  それが作品になるなんて思ってもいませんでした。
  それこそ誰にでも綺麗に撮れるカメラのお蔭で、
  私なんて、カメラのことなんてまったく分からないド素人です」
神道「それでも、作品は世に歩き出している」
星光「……」
神道「それに、七星の意見を傍で聞いていた流星や根岸も、
  彼と同意見でね、
  その後すぐに、陽立、カレン、根岸、田所、
  勝浦にいたスタッフ全員から嘆願書が出された。
  それから村田に限っては、君を是非秘書に推薦したいと言ってる。
  同じ土俵で一緒に私を支えたいと、
  潤んだ目で縋って懇望されたよ」
星光「私が秘書!?
  (苺さん……)」
神道「これだけ多くの社員から慕われている人間を、
  私は無下に解雇はできないんでね。
  それに、私は信頼する社員から恨まれて、
  話の分からない上司のレッテルを貼られたくない。
  それで君を休職扱いにしたんだ。
  だからパスポートも、当然渡さずにいたわけだ」
星光「そんな……」
神道「こんな短期間で皆から寵愛を受けるなんて、
  君は勝浦でどんな仕事をしていたんだ?(微笑)」
星光「……」 
神道「どうだろう。
  民宿の仕事を終えたら、うちに戻ってこないか?」
星光「あ、あの、神道社長。
  もう少し考えさせてください」
神道「いいだろう。ゆっくり考えろ。
  でも、忘れるなよ。
  君は休職中で、うちの社員だからな」
星光「神道社長……」


玄海の海は空の色を映してより深く沈み、
北から吹きつける風に大きくうねりながら、
波頭を白く煌めかせている。
北斗さんから発せられた声なき声『Stand by me』
目が痛くなるほど眩しく光る夏の太陽と、
鮮やかな海風にさらされた私の身体は、
皆の期待と再会の喜び、
いきなり飛び込んできた幸せに慄いていたのだった。

(続く)


この物語はフィクションです。
< 113 / 121 >

この作品をシェア

pagetop