ポラリスの贈りもの

翌日の朝。
目を覚まして窓から外を覗くと、
12月の寒さが肌を刺すように感じられる。
私は慌てて着替えて顔を洗うと、化粧しバッグを持って出かけた。
外に出てみると庭の芝生が凍っていて、
踏みしめる足元から霜柱の裂ける音が小さく聞こえ、
外気、建物、深緑の木々、
周りのすべてがピンと張りつめたように冴えわたっている。
私は大きく背伸びをすると、
気合を入れて目的の場所へと向かったのだ。
そしてカレンさんはというと、
昨日からずっと眠ったままで布団に横たわっていた。


カレンさんはカーテンの隙間から洩れる、
オフホワイトの柔らかい陽の光を感じ、
ゆっくり目を開けて天井をぼんやり見つめる。
しかし誰かの手の温もりに気がつき、
手を握っている人物をゆっくりと見た。
彼女はその人物を見た途端、口を半開きにして驚き、
暫くすると、ホッとするような喜ばしい安堵の情が胸を浸す。



(京都のとある旅館、藤の間)


カレン「陽立……どうして?」
浮城 「おお。目が覚めたか。
   気分はどうだ?」
カレン「うん。少し良くなった」
浮城 「そうか。それなら良かった」
カレン「どうして陽立がここにいるの?
   勝浦の撮影は大丈夫なの?」
浮城 「ああ。少しの間のことだから、
   俺がお前の代役でここへきたんだ。
   根岸がうちの社員として入ることになって、
   田所も引き続きカメラマンとして、
   3月いっぱい撮影をすることになった。
   だから少しくらいなら融通もきく」
カレン「そう……根岸くん、うちに入社したのね」
浮城 「ああ。昴然社を解雇されたんだよ。
   まぁ、あいつにとっては良かったんじゃないかな。
   良い腕してるのに実力も出せないまま、
   あんな狸の許で仕事するよりはな」
カレン「うん」
浮城 「それに、元はと言えばこの京都の撮影は、
   俺に回ってくるオファーだったからな。
   勝手が分かってるぶん、仕事も捌ける」
カレン「そうよね(身体を起こす)」
浮城 「おい、無理するな」
カレン「少しぐらい大丈夫よ」
浮城 「往診してくれた医者が言ってたぞ。
   身体を休めることもしないで、
   かなり根詰めて仕事してたんだろって」
カレン「あぁ……」
浮城 「バカ野郎。
   自分の身体を甚振る程無理なんかしやがって」
カレン「はぁー(溜息)
   甚振って無理しなきゃ撮影できないし、
   出来上がらなかったら会社に居られないんだもの。
   自分の仕出かした事とはいえ、
   神道社長から『首の皮一枚で繋がってるんだぞ』って、
   しっかり言われたし。
   あれ……星光さんは?」
浮城 「あぁ。彼女は朝ーでカレンの薬を取りにいって、
   戻ってくると用事があるって出かけていったよ」
カレン「そう……陽立、ありがとう」
浮城 「ん。
   まだお礼を言われるようなことは何もやってないけどな」
カレン「陽立。
   神道社長に、自分の給料とボーナスを削って、
   損失分として充ててほしいって言ったんだってね。
   その代りに私を会社に残してくれって、
   身体を張って嘆願してくれたんでしょ?」
浮城 「えっ。そ、そんなこと言った覚えはないなー」
カレン「そう?(微笑)
   でも社長と東さん、二人から聞いたんだもの。
   間違いないでしょ」
浮城 「まぁ、あれだ。
   とにかくこの撮影を終わらせて汚名返上すればいいさ」
カレン「うん」
浮城 「だけど、身体を張ったのは俺だけじゃないぞ」
カレン「えっ?」
浮城 「星光ちゃんもだ。
   お前を許してくれって社長に頼んだって聞いた」
カレン「ええ。東さんから聞いたわ。
   あの子、自分を解雇して、
   会社の為に貢献してきた私を残してくれって、
   社長に詰め寄って言ったんだって」
浮城 「なんだ、知ってたのか」   
カレン「ええ。つい最近聞いたんだけどね」   
浮城 「そっか。星光ちゃんはいい子だよな」
カレン「ええ。それに頑張り屋だし根性もあるわ。
   撮影のことなんてまったくわからなかったはずなのに、
   毎晩遅くまでテキストで予習して、
   私の指示を完璧に熟してるの。
   すぐギブアップしちゃうと思ってたのに……
   カズが彼女を好きになる理由が分かった気がしたわ」
浮城 「そうか。
   勝浦でも料理レシピを来年の3月分まで作ってたんだ。
   しかも、俺たち全員の健康管理帳まで作ってた」
カレン「それ、本当なの?」
浮城 「ああ。俺たちの見えないところで必死で努力してさ、
   しがみつくように俺たちについていこうとしてたんだよな」
カレン「そうね……」
浮城 「彼女が勝浦から突然居なくなって、カズはひどく動揺してさ。
   東さんに殴りかかろうとしたんだ」
カレン「えっ(驚)」
浮城 「あのカズがさ……
   若葉と別れてもカメラを離さなかった男が、
   星光ちゃんが居なくなっただけで、
   カメラを持てなくなるなんてな」 
カレン「そう……私、完敗ね。
   (カズ、そんなにショックを受けるほど彼女を愛してたのね)」  
浮城 「でも、星光ちゃんの言う通りだ。
   お前は今まで会社の為に貢献して、
   これまで与えられた仕事は最高の成果を残してきただろ?
   モデルからいきなり写真家の道へ転換してさ、
   バッシングもあっただろうに、
   誰にも弱みを見せずに、片意地張って歩いてきただろ」
カレン「陽立」
浮城 「いつもスタジオの隅で声を殺して泣いてるのを、
   俺はずっと見たきたからな」
カレン「そんなことまで知ってたの……」
浮城 「ああ。お前のことなら何でも分かってる。
   人一倍寂しがり屋で『私を見て!』って、
   いつも心の中で叫んでる。
   そして、誰かの胸に縋りたいって思ってる弱い女ってこともさ」
カレン「……」
浮城 「お前が金持ちのお嬢様だからとか、
   美人でスタイルのいい女だからじゃなく、
   人一倍自分に厳しい奴だから、俺はお前に惚れたんだ。
   そんなお前だから、カレンのことがずっと好きなんだ」
カレン「陽立……」
浮城 「撮影はしっかりサポートするから、
   お前はしっかり身体を治せ。
   健康じゃないと良い仕事もできないぞ」
カレン「陽立。
   どうして私……今まで気づかなかったのかな。
   ずっと陽立は私を見ててくれたのに」
浮城 「そうだよ。
   お前は男を見る目がない。
   カズより俺の方が頼りになるんだぞ?
   …って言ってみた(笑)」
カレン「うん。陽立」
浮城 「カレン。俺が傍にいるからさ。
   もし会社を辞めさせられても、俺がお前の傍に居るから」



カレンさんは浮城さんの胸に顔をうずめてすすり泣く。
浮城さんは、カレンさんを自分の胸に引き寄せて、
包み込むように抱きしめた。
彼も抑えてきた、長年の彼女への想いを解放する。
カレンさんの髪を撫でながら、ゆっくりと顔を近づけると、
彼女の心の傷を癒すような優しいkissをした。
ずっと孤独と憎悪に取り憑かれていた彼女の心は、
浮城さんの温もりと愛情に救われ、
長い呪縛から解き放たれたように、本来の彼女を取り戻したのだ。
そして、浮城さんも……


彼女が急に私に対して優しくなった理由。
私のなりふりかまわない仕事への姿勢が、
カレンさんに認められていたということ。
そしてそれだけではなく、
私が彼女を庇ったことで復帰のチャンスが与えられたのだと、
東さんがカレンさんへ直接伝えたからだった。
しかし、旅館で改心したカレンさんのことも知らない私は、
一つの決意を胸に秘め、東さんから渡されたカメラを片手に、
朝靄煙る京都の道を駆けていたのだった。

(続く)


この物語はフィクションです。
< 88 / 121 >

この作品をシェア

pagetop