ポラリスの贈りもの
57、未来のビジョン

神道社長に渡された書類を握り締め、
重い足を引きずるようにスターメソッドの本社を後にした。
戸惑う自分に問いかけながら、両親の待つ吉祥寺へと向かう。
あの頃のように、恋も夢も希望も諦めて淡々と生きていく?
それとも与えられた仄かな光を頼りに、
将来のビジョンに微笑んでいる私が居ると信じて進んでみるの?
また北斗さんと笑顔で逢うことができると信じてみようか。
どうする?星光……


そうやって自問自答しながらも昔と違っていたのは、
北斗さんと離れた寂しさはあっても絶望感がないこと。
そのせいだからか、やっと両親に会える安心感からなのか、
車窓の流れる景色も、信号機の三色のビビットな光も、
街の煌びやかな電飾さえも、今の私にはなぜか心地いい。




車を走らせること30分。
私は両親の自宅駐車場に到着し、
キーを回し車のエンジンを切った。
静かになった車内で、
あらかじめ母から貰っていたメモを再確認していると、
玄関先に男性が立っているのに気がつく。
私はその人物を見てすぐに父だとわかった。
それは風馬からもらった写真の男性と同じだったから。
年は取っているけれど、
優しい眼差しはそのまま変わっていない……
私は震える手で車のドアを開け、外に出ると頭を下げた。
少しの戸惑いと照れくささの入り混じった私に、
父は笑顔で近づいてきて、
思いもしない言葉をかけてくれたのだ。



憲二郎「星光。おかえり」
星光 「(おかえりって、言ってくれるの?)
   ただいま……お父さん」



25年も経っていて幼い頃の面影なんてまったくない私に、
外出先からひょっこり帰ってきた娘の様に接してくれている。
たった7文字の短い言葉の中に、
父の愛情がいっぱい詰まっていて、
感極まった私の冷たい頬に温かい涙が一筋伝った。
涙する私の肩に触れて、父は宥めるように微笑んでいる。
そこへ私を心配した母もやってきて声をかけた。


美砂子「そんなところで突っ立ってたら、
   二人とも風邪ひくわよ。
   星光。中に入りなさい」
憲二郎「さぁ、入って。荷物を部屋に入れよう」
星光 「ありがとう。お父さん」

私の荷物を持って玄関を入っていく父の背中を見ながら、
快く受け入れてくれた両親に手を合わす。
そして私の命を助け東京へ導いてくれた北斗さんに、
福岡から私を追いかけて、
両親のことを教えてくれた風馬にも心から感謝した。
私は古賀家の敷居をゆっくりと跨いだのだ。



(吉祥寺、星光の両親宅)


お風呂から上がってきた私は、
母の入れてくれたホットコーヒーを飲み、
ふたりの温かいまなざしに見守られながら話した。
伝えたいことはたくさんある。
濱生でどんな生活をしていたかという悲しく冷たい想い出よりも、
北斗さんと触れ合った数か月の出来事を両親に聞いてほしくて。
私は神道社長から貰った書類をバッグから取り出して、
徐に切り出したのだ。
書類を受け取った母はお縁のソファーに座っている父に渡す。
母から事前に話を聞いていた父は、
すぐに私の置かれている立場も理解したようで、
書類に目を通しながら、穏やかに話し出した。


憲二郎「星光はどうしたいんだ?」
星光 「私は……」
美砂子「このお話を受けるなら、私の話は断っていいのよ」
星光 「私は、お母さんの話を進めようと思ってる」
美砂子「そうなの。この件、北斗さんと話はできたの?」
星光 「それは……」
美砂子「まだ話せないでいるのね。
   これは北斗さんの勤めている社長さんからの依頼なんでしょ?」
星光 「うん」
美砂子「だったら、こちらの話を受けるべきよ」
星光 「で、でも」
美砂子「このオファーを断ったら、
   貴女は北斗さんとこれからもっと会い辛くなるわ」
星光 「えっ」
美砂子「それでもいいの?」
星光 「(七星さんと会い辛くなる……)」
美砂子「あのね。
   一大企業の社長さんが、
   まだ日の浅い貴女にこんな良い話を持ってくると思う?
   社長さんは北斗さんを信頼しているから、
   キャリアのない貴女を会社まで訪ねて来てくださって、
   好条件で入社までさせてくれたんじゃないかしら」
星光 「うん……」
美砂子「それは、北斗さんがこれまで積み上げてきた功績もあるから。
   彼の将来を思って社長さんの配慮だと私は思うのよ」
星光 「……」
憲二郎「星光。
   私もお母さんの意見に賛成だな。
   このオファーを受けたほうがいい」
星光 「お父さん」
憲二郎「あのな。大きな仕事のできる男は、
   仕事や職場に家庭や私情を絡めない。
   なぜなら、自分の責務に集中できないからだ。
   彼は世間で名の知れたやり手の写真家だろ?」
星光 「そうね」
憲二郎「そのキャリアある彼が、
   何よりお前を助けることを優先したんだ。
   世間や業界のバッシングも覚悟で、
   お前を自分のテリトリーに受け入れてな。
   それなりの想いがないと、そんなリスクを普通は抱えられない」
星光 「だから私……
   彼の為に勝浦の仕事を降りようと思ったの。
   これ以上、彼の苦しむ姿を見たくなくて」
美砂子「それは逆。
   自分の身を呈して助けた女性が、
   目の前から居なくなってしまったのよ。
   貴女が突然去って、
   自分の何が悪かったんだろうかと心を痛めて、
   周りに気を遣いながらひとりで苦しんでいるはず。
   それを解っているから、
   社長さんはこの話を貴女に勧めたんじゃないの」
星光 「お母さん……」
憲二郎「星光、お前の人生だ。
   お前が本当に必要だと望むものへ進めばいいんだよ。
   私たちは、いつもお前の味方なんだから」
星光 「お父さん……」
美砂子「そう。これからはずっと一緒に居られるのよ。
   どちらにしても、まだ日にちはあるんだから、
   お正月はゆっくりうちで過ごして、
   じっくり考えて答えを出せばいいの」   
星光 「お母さん。お父さん。本当にありがとう」


私はふたりの娘として生まれたことを、
心の底から良かったと感じた。
ふと窓の外に視線を移すと、小雪が舞い踊っている。
しんしんと冷え込む師走の夜は、
幾つかの心残りと共に、
新たな年の到来を感じさせていたのだった。


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