また、部屋に誰かがいた
部屋に誰かがいた【ふわっと消える】
あのひとは優しいひとだった。

3年くらい前に別れた「元カレ」の真下直人のことについて「どんなひとだったの?」と聞かれれば、それしか言いようがない。
別に容姿やそのほかの事で彼が他の男たちに劣っていたわけではない。
きれいな顎と大きな耳の横顔も、意外に綺麗だった指先も、たくましい肩に背中の中央を通る背筋の美しさも、そして知性を感じる彼との会話も、その全てが好きだった。
しかし、当時、人間的に未熟で恋愛に刺激ばかりを求めていた私は、いつしか彼を「退屈なひと」だと考えてしまっていた。
彼と別れたあと、何人かの男と付き合ったが長続きしなかった。そもそも、わがままな私を笑顔で暖かく見守ってくれるような男は直人以外にそうはいなかった。

クリスマスまで10日ほどにせまった年の瀬の夜の街にイルミネーションが灯り、恋人たちが白い息を吐きながら、それらに歓声をあげるなか、私は一人、会社からの家路についていた。
石畳の歩道をたたくヒールの音までが冷たく感じるくらい、空気は「しん」と冷え切っている。時刻は21時。
私は立ち止まってコートの襟を閉め、赤いマフラーを巻き直した。最後の男と別れてフリーになってから半年が経つ。その男とも2か月ほどしかもたなかった。直人と別れてから彼の優しさと人間的な魅力がわかって、ただ一瞬のときめきや一時の刺激を求めていた「こども」な自分を責め、後悔をしたことで成長した私にとって、その男も「求める男」ではなかったからだ。

低く、暗く広がる空のもと、吹く風は冷たい。今夜は雪になるかもしれないと予報で言っていたことを思いだしながら、私は足早に家路を急いだ。
自室のあるマンションにたどり着き、急いで部屋に入ると、そのまま奥へと進みエアコンのスイッチを入れる。
部屋の中はまだ寒かったが、暖かいものを飲みたいと考えた私はマフラーを解き、コートを脱いで、キッチンの電気ポットに水を入れてから、そのスイッチを入れた。そしてリビングに戻ってお気に入りのソファに深く座った。
直人と付き合っていたころ、この部屋にも彼はよく来てくれていた。こんな寒い冬の日には私のために暖かい飲み物を作ってくれた。
「今夜は気温も低く真冬日。雪が降るかもしれません。」何気なくつけたテレビからそんな声が聞こえる。

「そっか…寒いな…」
ぼんやりとテレビを眺めながら、私は一人言を呟いた。

そのとき

ピンポーン

玄関で呼び鈴が鳴った。時計を見ると21:30。
「こんな時間に誰だろう?」
私はインタホン越しに答えた

「はい」

「俺!俺だよ」

その声に私は耳を疑った。それは直人の声に聞こえたからだ。

「え?直人?」

「ああ!ちょっと近くに用事があって、その帰りなんだけど、通りかかったら懐かしくなっちゃって、久しぶりに寄ってみたんだ。」

「ちょっと、待ってて!」
私は慌てて洗面所の鏡の前に行くと、髪形を整え、鏡に映る自らをチェックしてから玄関に向かった。

「久しぶり!元気そうで良かった」

ドアを開けると懐かしい笑顔で彼はそう言った。

「どうしたの?急に?」

「さっき言ったろ?たまたま近くに用事で来てたから寄ってみたんだ。どうしてるかな?って思ってね」

そう言って微笑む直人は、私の記憶のなかの直人だった。

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