一寸の喪女にも五分の愛嬌を
 元を正せば、成瀬の歓迎会の飲み会の日だ。

 こいつが無理矢理タクシーに同乗してきたのせいでイヤな噂を流され始め、こいつのせいで私の快適な一人暮らしの部屋は妙な寂しさを帯び、こいつのせいで固く閉じたはずの心が揺れる。

(限界なのかもしれない)

 そう、私がここに留まっていることが、もう限界のかもしれないと思った。

 昨晩の稲田さんの声が蘇る。


 ――転職。


 今まで考えたことなどなかったその二文字が鮮明に蘇り、私の中に染み渡る。

 それは明確な答えのような気がした。

 それがたった一つの正解だとすら思えた。

(そうだよ、この会社にいたらずっと成瀬を見続けるしかない)

 成瀬を見ることは、つまり惨めで情けない自分と対峙することになってしまうだろう。

 それに成瀬と親しいことが発覚すれば、彼の将来に影響を及ぼしかねない。


 ゆっくりと顔を持ち上げて成瀬を見上げる。

 それから私はこれ以上ないほどにっこりと愛想良く微笑んだ。


「この件、了解しました。受け付けておきます」


 そう返事をした途端、成瀬はパッと安堵したような笑みを浮かべた。

 それがまた憎らしいほど可愛い。


 ――ずるい男。
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