心外だな-だって世界はこんなにも-
1時間ほどかかって、バスは目的地に着いた。
運転手席の横にある運賃を入れるケースに、小銭をポロポロと落とすと、ケースの底が、階段のないスロープ型のエスカレーターのように、チャリンチャリンと、綺麗で、下品な音を立てて、落ちていく。
はて、この小銭。一体このケースのどこに向かうのか。昔、兄貴からつかれた嘘をふと思い出す。
「美紀ちゃん、知ってるか? 自動販売機の中にはおじさんが入ってて、その中でジュースを入れてるんだぞ?」
完全に信じていた当時の幼き私は、自動販売機でジュースを買う度に、「おはようございます。」「お疲れさま!」などの挨拶をしていた。
また、近所のおばさんたちも怪訝そうにするどころか、微笑ましく見守るものだから、私が本当のことを知るのは、ずっと後のことになる。
思えば、兄貴は私の人生にどこまでも押しかけてくる。乱暴で、ちゃっかりとしていて、それでいてどこか心地のいい。これを人は「お節介」。または、「行き過ぎたお節介」という。
バスの運賃を入れるケースで、ここまで波状させられる私は、きっと小説家としての才は持っているのだろう。
でも、次のステップ、「湧き出た言葉たちを上手くまとめ上げる力」がまだまだ欠如しているんだろうなと思う。いる言葉といらない言葉の区別がつけられない。どれも必要な気がして、だから、私は今、思ったことを執筆中である小説の中で使うつもりはない。