彫師と僕の叶わなかった恋
過去の秘密
過去の秘密・・・・1

10時を少し過ぎた頃に千野さんはやって来た。

「待たせたなにいちゃん、乗ってくれ」と言われ

僕には到底買えないような外車に乗せてもらった。

暫く無言で、僕は千野さんがどこに行くのか

気に成ってしょうがなかった。

まさかレイさんに頼まれて、千野さんまで僕に嫌がらせをしに

来たのかもしれないと一瞬疑ってしまった。

暫く走っていると人の少なそうなファミレスが目に入った。

深夜のお客さんの少ないファミレスは暇そうだった。

僕も深夜のファミレスに転職しようかなーなどと考えていると

おもむろに千野さんは左にウィンカーを出し、そのファミレスで

車を停めた。

「コーヒー二つ」と千野さんが注文した。

コーヒーが来るまで、僕は何を話せばいいのか分らず

千野さんも黙ったままだったので、僕は窓の外を見るふりをしたり

テーブルのPOPを見るふりをして、沈黙に耐えていた。

ようやくコーヒーが来て、千野さんはコーヒーを一口、二口飲むと

いきなり話を切り出して来た。

「にいちゃんは何でAkiじゃないとダメなんだ?」

「自分でも良く分らないんです。最初はそんな事全然思って無くて
ただ自分に自信を付けたかったからTATTOOを入れに行っただけなん
ですけど、途中から、あーこの人に彫って貰うと心が温かくなるなーって
思ったからです」

と僕は千野さんに説明をした。


「お前Akiに惚れているのか?」

と千野さんはいきなり本題をぶつけてきた。

僕は「それも分らないんです。二十歳も年が離れているのに
好きと言う感情では無く一緒に居たいって思うんです」と僕は答えた。

千野さんは「それが恋って言うんじゃないのか、お互い立派な大人だし
歳の差は関係ないだろう。でもな」

と言って、千野さんはそのまま何か考え込んでる様子で

急に黙り込んでしまった。

僕は何か千野さんの気に障る様な事でも言ってしまったのかと

不安になった。

少し間をおいて千野さんが何かを決めた様に話始めた。

「Akiは22、3歳の頃にトオルって言う彫師と結婚したんだ
トオルは腕のいい彫師だった。身寄りの無いAkiはようやく
家庭を持てた事が嬉しくて、それはもう今の何倍も
嬉しそうな顔をしてたよ」

僕はビックリした。

まさかAkiさんが妻帯者だとは思ってもみなかったんで

そこにあった水を一気に飲んで動揺を隠した。

これが、千野さんが僕を呼んだ理由だったのか。

僕に諦めさせるためにこの話をしたんだと思い

僕は本当にAkiさんを諦めなくてはいけないんだと覚悟した。

千野さんの話には続きがあった。

「ただな、その幸せも長くは続かなかったんだ。ようやくAkiに
子供が出来たって時にトオルが癌になって、あの業界じゃあ健康診断
なんて無いからな。で、気が付いた時には手の施しようが無い状態に
まで進んでたんだ。それでも、Akiは一生懸命看病し何とかしようと
手当たり次第に調べたりしたんだ、でも結局は助からなかった。
そして、その悲しみから、折角できた出来た、お腹の子供まで
ダメになっちまってAkiは精神的にまいっちゃって
見てるこっちが悲しくなる位だ」

何て言う事だ、僕はAkiさんが天真爛漫な人で、いつも笑顔を

絶やさない人かと思っていたのに、そんな悲しい過去を微塵も

見せなかったので、僕だけが浮かれたのかと思うと恥ずかしくなった。

更に千野さんは「ようやく立ち直ったAkiは、トオルの仕事だった
彫師を目指すようになってな。道具の使い方を皆で教えて、皆が彫の
練習台になって二年前位いから一人で彫師として仕事が出来る様になんだ。
ただ一つだけ吹っ切れて無いのが、旦那と生まれて来るはずだった
子供の事が忘れられず、今でも一人で生きて行く覚悟は変わっては
いないぞ、それでもお前はAkiに彫って貰いたいのか」

突然の話に僕は“はい”とは答えられなかった。

全く予想もしていなかった話に直ぐに対応が出来るはずがない。

また、僕と千野さんの間に沈黙が流れた。

僕はこの話にどう答えてよいのか迷った。

守って行きますと言ってもアルバイトでは食べさせて行けないだろうし

ましてや気弱な返事をすれば二度とAkiさんとは会う事が出来なくなる。

僕は千野さんに正直に話した。

「守って行けるかどうかは分りません、でもAkiさんが僕を必要と
してくれるのならばいつでも側にいたいと思ってます」

そう言うと千野さんは「分った」と言って席を立ってお会計を済ませた。

帰りの車の中は二人とも終始無言で、行きよりも

もっと重い空気が漂っていた。
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