恋する任務は美しい〜メガネ上司の狼さんと訳あり隠密行動〜
今まで素顔をさらして仕事をしていなかった。
恥ずかしさとともに、この部屋にいること自体がいたたままれない気持ちになる。

「こんな状況じゃあ、仕事になりませんから」

「待って、萌香さん」

「失礼します」

踵を返し、ドアノブに手を伸ばしたその時だった。
あおいさんの細い手がわたしの肩に触れた。

「お困りごとがあるんじゃないかしら?」

あおいさんはわたしの顔をじっとみつめ、温かみのある言葉で手が止まった。

「萌香さんのマンション、区画整理で退去予定じゃなくって?」

「どうしてそれを」

「知ってるもなにも、ウチの所有のマンションですもの」

「そうなのか? 椎名萌香」

息を吐くように面倒臭そうに大上部長はわたしに話しかける。

「関係ないでしょ。個人のことまで管理されなきゃいけないんですか」

「そんな状況で就職活動をするなんてな」

あおいさんは上着のポケットからスマホを取り出し、どこかへ電話をかけていた。
すぐに電話を切り、大上部長へ目で合図する。

「相談してくださればいいのに。部長、こちらは大丈夫ですわ」

大上部長はどこかへ電話をかけた。

「いい上司を持って幸せね、萌香さん」

そういってあおいさんはウィンクしてみせた。
こんなわたしにフランクにみせるあおいさんは心が広いのかなと思う。
受話器を置き、大上部長は例にもよってフルネームでわたしを呼ぶ。

「おまえに、早速いい物件を紹介する」

「え?」

もう探してくれたの? と顔をひきつらせてみると、大上部長は天井に向かって人差し指を向ける。

「この上がおまえの部屋だ」

「この上って確かホテルですよね……」

全国有数の数ある高級ホテルと銘打ち、国内外でも人気の高い『HOTELパシフィックSHINOZAKI』だ。
シングルルームでもこの界隈の観光ホテルより高いのに、どうしてわたしがそのホテルの一室を借りなくちゃいけないんだ。

「もちろん萌香さんの持っているブラックIDが使えるわよ」

ブラックIDって、ホテルの決算もしてくれるってこと?

「もう契約した。これでいいだろ」

「だから勝手に」

「住まいもある。仕事もある。これで何が不服なんだ、椎名萌香」

「こんな浮世離れした職場はじめてです。こんな状況が続いたらせっかくこの会社で働こうとしていたのに」

「普通の仕事が望みなんだな。わかった。ちょうどいい案件がある。でも今日は無理だ。まずはおまえの引越しの準備だ」
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