雨を待ちわびて
人は、他人の前で無意識にいい人を演じる。
余程嫌って、どうでもいいと思っている相手以外には好意的な態度や仕草をしてしまうものだ。
今の僕がそれだ。
カレーの件もある。ここの医師だ。これからも食堂は利用するだろう。
色んな事を脳が瞬時に判断する。その結果が、笑顔で会釈だ。勘違い、させてしまったかも知れない。だから困る。
そこに心があったかなんて解らない。多分、無感情だ。愛想笑いというやつかな。
医師である時は、医師を演じる。ボーッとしている時が、俺自身だ。
そうでないと、俺自身、俺の事が解らなくなってしまう。
言っている事、している事に、いつも、どうなんだと見ている俺が居る。
あまり深く考えないようにしないと、自分を見失いそうだ。
本当の自分を曝け出すという事は、ここに来て、みんな出来ているとは思えない。
病院だから、先生だからが前提、だから話せるとは思ってくれているだろうが。
簡単に人を信じられるはずは無いと思う。
それこそが、悩む原因になる。
…不信だ。
本当の俺も、どこか病んでいるのかも知れない。
…何も考えないで居る事は難しいモノだな。たまには普通に過ごす休暇が必要だ。
普通に寝て、起きて、ご飯を食べ、人と会話をする。
規則正しい生活、基本中の基本だ。
何時に帰るか解らない。
休みも合わない。
疲れが優先してしまって話も出来なくなる。
求めていたものが違っていれば、もう一緒には居たく無い、か。
あまりに会えないと、居られなくなるのは、やはり当たり前の事なのか。