愛しすぎて、寂しくて
バーテンダー ケンジ
アタシは次の週から花邑リュウタロウのいるcrystal dragonに移った。

そこにはイタリアで修業を積んだシェフの他に3人の料理人と
ホール担当の女の人が四人ほどいる。

中でもソムリエの資格をもっているというエリカさんは
スゴク綺麗な人で
真相はわからないけど花邑さんの恋人と噂されていた。

お店に入ってわかったのだか、
この店はイタリアンと言う括りにとらわれてなくて
創作料理と言った感じだ。

味はもちろんのこと
とにかくシェフのセンスがよくて
器の選び方や盛り付けの仕方までホントに素敵だった。

アタシはバーの担当なのでそっちの人たちとはあまり接点がない。

一緒に働く人はケンジさんという落ち着いた男の人だった。
ケンジさんは無口だけど決して感じは悪くない。

アタシは色んなカクテルの作り方をケンジさんから教えてもらったりして自然と仲良くなった。

「ジュンはRed coralに居たんだよね?
ジョウさんと働いてたんだ?」

「マスターを知ってるの?」

「この辺であの人を知らない人は居ないよ。
それにたまにRed coralにも行くんだ。
ジュンのことも知ってたよ。」

「そうなの?」

「あの店はいい店だよね。」

「このバーも素敵ですよ。」

あまり笑顔を見せないケンジさんが少しニコリとした。
なかなか素敵な笑顔だ。

「それは光栄だな。
あ、ハルキさんも時々ここに飲みに来てくれるよ。」

ケンジさんはマスターと同じ年くらいだ。
何となく陰のある感じがマスターと似ていた。

オーナーはアタシが働き出してから時々様子を見にやってくる。

アタシはここにいる間、Red coralに出入り禁止になった。

マスターとは部屋が隣なので逢おうと思えば逢えたけど
アタシはオーナーのことを考えて
なるべく逢わないようにした。

偶然にでも逢いたくて外で待っていた事もあったけど
結局遠くから見ただけだ。

「元気ないね。
Red coralに帰りたい?」

「そんなんじゃないです。」

「詳しいことはわからないけど
後悔しないようにな。」

ケンジさんは今のアタシにとって心強い存在だった。

だけどケンジさんの私生活は全くの謎だった。

「ケンジさんは彼女とか居ないの?」

「いきなりどうした?」

「ただ、気になっただけ。」

その質問には答えなかった。

「ジュンは…好きな人に望まれないとしたら
それでも好きでいられる?」

ケンジさんは叶わない恋をしていた。

相手はいつも金曜日に来る人のようだ。

アタシは金曜になるとケンジさんが少し緊張してることに気がついた。

「もしかしてケンジさん、金曜日に来る人の中に好きな人とかいるの?」

アタシは金曜日に夫婦で来るアケミさんという人だと思った。

アケミさんはインテリアデザイナーで
いつもお洒落で話も面白くてそしてかなりの美人だ。

好きな人に望まれないという点でも当たってる。
旦那さんがいるし、その旦那さんはケンジさんと友達だった。

「ケンジ、今度一緒に釣りに行かないか?」

旦那さんのオサムさんは建築家でケンジさんとは中学の同級生だった。

「釣りかぁ、朝、早いだろ?
早起きは苦手だから。」

「相変わらずお前は冷たいな。」

オサムさんとはすごく仲が良かった。

でもアケミさんとはあまり会話もしない。
かえってそれを不自然に感じた。

「望まれない相手ってアケミさんですよね?」

二人が帰ったあと、アタシはケンジさんに聞いた。

「え?そうか、普通はそう思うよな。」

とケンジさんは少し笑った。

「違うんですか?じゃあ、誰だろう?」

「オレの事なんか詮索してないできちんと片付けといてな。」

アタシの勘は見事に外れた。

「誰なんだろう?」

金曜日に来る人で思い当たる女の人は他にいない。

結局アタシはケンジさんの相手がわからなかった。

だけどその夜、アタシは見てしまった。

片付け終わって帰ろうとしたとき、
ケンジさんが外で誰かと話していた。

相手はさっき帰ったばかりのオサムさんだった。

「あれ?オサムさん何で戻ってきたんだろう?」

特に気にも止めなかったが
二人の様子はスゴク深刻なように見える。

「ケンジ、待てよ!」

オサムさんがケンジさんを呼び止めて
ケンジさんを抱きしめた。

アタシは気がついてしまった。

ケンジさんが好きなのはアケミさんじゃなく
オサムさんだった。

二人は秘密の恋をしていた。

ケンジさんとオサムさんは高校生のときから
その関係を続けてきた。

オサムさんは建築家として有名になり
人の目を特に気にする人だった。

アケミさんとは親から薦められたお見合いで知り合って
オサムさんはケンジさんの存在を隠してそのまま結婚した。

ケンジさんとの関係はそのあとも続いた。

いわばケンジさんは日陰の男だ。

結婚した後、ケンジさんはオサムさんから離れようとしてるらしい。

だけど離れられずその後5年も不倫の関係は続いている。

しかもただの不倫じゃない。

同性愛という壁もある。

「オサムさんだったんですね。」

「気がついたんだ。ジュンは何でそんなにオレに興味を持つの?」

ケンジさんはアタシと同じ孤独な感じがした。

カオルにも感じた放っておけないオーラがある。

「ケンジさんは昔のアタシと同じ目をしてるから。」

「放っておいてくれないかな?」

確かにアタシにはなにもできない。

ケンジさんの恋を応援することも
止めさせるワケにもいかない。

「飲みに行きません?」

「ジュンは見かけによらずお節介なんだな。」

その夜、ケンジさんの部屋に行った。
ケンジさんの部屋は小さなカウンターがあって
バーテンダーだけにお酒も沢山そろってる。

「すごい、お店みたい。」

「何かジュンのためにオリジナルカクテルを作ってあげるよ。」

ケンジさんが作ってくれたカクテルはパイナップルの香りがした。

「何が入ってるか当ててみて?」

アタシはそこでカクテルの作り方を教わったりしながら
それを飲んでるうちに酔ってしまった。

「大丈夫?歩けない?」

「急に脚に来たみたい。」

「カクテルは甘くて飲みやすいけどキツいからなぁ。」

アタシはウトウトしてしまい、
気がつくとケンジさんのベッドに寝ていた。

ケンジさんは音楽をかけて本を読んでいた。

「気がついた?泊まってっていいよ。
よかったらシャワー浴びれば?」

「うん。」

ケンジさんは女の子に興味がないと思ったので
アタシは甘える事にした。

ケンジさんがTシャツを貸してくれた。

「無防備だな。」

「え?」

「男の部屋で飲んで酔ってシャワーを浴びて…
大抵の男は誤解するよ。」

「だってケンジさんにとってアタシはそういう対象じゃないでしょ?」

「俺は女の子がダメなワケじゃないよ。」

「え?そうなの?」

アタシは急に身構えた。

「オサムに頭に来て何度も浮気したことがある。
相手は全部女の子だ。

あ、大丈夫だよ。心配しないで。
ジュンにはそんなことするつもり無いから。」

ケンジさんが急に男に見えた。

「ジュンはさ、女の子を好きになったことある?」

「う~ん…好きって言うか憧れかな?
この人みたいになりたいとか…
キスしたいとかそういうのはさすがに無いかな。」

「オレも普通に女の子が好きだったんだ。
でもオサムがオレを変えたんだ。

オサムはね、女が全然ダメで…
アケミとは一度も寝たことが無いらしい。」

「アケミさんはそれでいいの?」

「アケミは他に好きな男がいる。
ずっと不倫してるんだ。
お互いそれを許すのが結婚の条件らしい。」

「そんなの夫婦でいる意味があるの?」

「色んな柵があるんだろうな。
オサムはすごく体裁を気にするから。
アイツは卑怯なヤツだから。」

「ケンジさんは…オサムさんと別れたいと思ってるの?」

「いつも思ってるよ。」

アタシには全く理解不能の世界だったけど…

でも別れたいのに別れられないって気持ちは何となくわかる。

「ジュン…キスしてもいい?」

「え?」

ケンジさんはアタシの返事を待たずにキスをした。

心はここに無いからアタシはケンジさんを拒めなかった。
こんなに気持ちの無いキスは初めてだった。

「ごめんな。」

ケンジさんは誰でもいいからすがりたかったんだろう。
アタシはケンジさんの髪を撫でた。

「何にもしてあげられなくてごめん。」

アタシはそう言ってケンジさんを抱きしめた。

ケンジさんは次の日、店を辞めた。

「ジュン、ごめんな。
次の人が来るまで頼む。」

それだけ言うと店を出ていった。

アタシは仕事が終わると再びケンジさんの所へ行った。

ケンジさんは引っ越しするらしく荷物を纏めていた。

「どうしてやめるの?どこに行くの?」

「今度は本気でオサムから離れることにしたんだ。
ここに居たらいつまでもオサムを諦められない。」

ケンジさんはもっと孤独になる道を選んだんだと思った。

「そんなの簡単にできるわけ無い。
もう何年も付き合ってきて…無理だよ。
辛いからって逃げちゃうの?」

「ジュンと逢って気持ちが変わったんだ。
ちゃんと純粋に愛してくれる人を探そうって。

今度はきっとジュンみたいな女を好きになるよ。」

泣いてるアタシの涙をケンジさんが拭ってくれた。

「逢えてよかったよ。ジュンも幸せにな。」

ケンジさんが幸せになることを願って見送った。
ケンジさんの居なくなったカウンターはいつもより広くてアタシは寂しくなった。

次の金曜日にオサムさんの姿はなかった。

アケミさんが一人でやって来た。

「珍しいですね?オサムさんは?」

「オサムとは別れたの。
離婚届だけ残して居なくなったのよ。
ケンジもここ辞めたのね。」

オサムさんは最後に何もかも捨てて
ケンジさんを選んだんだ。

「ここも寂しくなるわね。」

アケミさんはその夜、いつもより少し多めのお酒を飲んだ。

ケンジさんはオサムさんと寄りを戻すのだろうか?

それとも新しい恋人を見つけるのだろうか?

アタシにはその後のことはわからないけど…
ケンジさんが幸せならそれでいいと思った。

その夜、オーナーが店に来た。

「ケンジ辞めたんだって?
お前と働くのが嫌だったのかなー。」

「どうですかね。」

「新しい人が来て落ち着いたら店に戻ってこい。」

「戻っていいの?」

「気持ちの整理はついたか?」

「マスターとは別れたくない。
でも店も絶対辞めたくない。
何があってもぜったいお店に迷惑かけないから…
お願いします。」

オーナーは長い綺麗な指で
タバコに火を着ける。

「好きにすればいい。
でも俺はそのうちお前の口からジョウと別れるって言わせるから。」

アタシにはその意味がわかってなかった。

マスターと離れて半年が過ぎていた。

アタシの気持ちは変わらない。変わらないはずだった。



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