愛しすぎて、寂しくて
最終章 ジュン、ハルキ…そしてジョウ
その日は突然やって来た。

朝からずっと雨が降っていて
もう夏だと言うのにお客さんも少なくて
何となく憂鬱だった。

夕方になってもマスターが来なくて
カヨさんは心配していた。

「マスターがこの時間になっても来ないって珍しくない?」

「カヨさん、先帰って。
保育園のお迎えあるでしょ?
アタシはマスターが来るまでここに居るから。」

「悪いね。じゃあ、お先にね。
ジュン、一応心配だからマスター来たら連絡してね。」

「うん。」

夜になってバイトの子が来ても
マスターはまだお店に姿を見せなかった。

「あれ?マスターは?」

「うん、どうしたんだろう?連絡取れないの…」

「ジュンさん、朝から入ってんの?」

「今日は雨で暇だから…。」

「少し休憩してきて。」

「うん、ありがとう。」

アタシはどんどん不安になって休憩中にオーナーに電話をかけた。

「オーナー、マスターが来ない。
電話も繋がらなくて…」

「ちょっと待ってろ。すぐ行くから。」

結局その日は最後までマスターが現れなかった。

マスターの消息がわかったのはその次の日の朝だった。

マスターは廃工場の片隅で傷だらけで発見された。

病院に運ばれた時はときは虫の息で
助かるのは難しいと言われた。

面会は出来ず、病室の前にマスターの叔父さんという人が来ていた。

「ユズルがこうなったのはオレのせいだ。」

叔父さんがオーナーと話してるのが聞こえた。

マスターのことをユズルと呼ぶ人は珍しかった。

アタシは祈るしかなかった。

幸いにもマスターは意識を取り戻した。

一時は誰もが諦めかけてたけどアタシは信じてた。
マスターの生命力の強さにアタシは感謝した。

時間はかかったけどマスターは元気になった。
その代わり顔には大きな傷が出来た。

この事件がきっかけでマスターの人生は一変した。
マスターがRed coralに帰って来ることはなかった。

オーナーは結局マスターを説得出来ず
新しいマスターを連れてきた。

新しいマスターも魅力的な人だったけど
アタシにとってのマスターはジョウさんしか居ない。

アタシは休みの日にマスターに会いに行った。

さすがに簡単に入れるような場所じゃなくて
近くから電話をかけた。

マスターは近くのホテルの部屋で待つように言った。

「何の用だ?」

そこであったマスターはまるで別人だった。

目付きも着てる服もアタシの知ってるマスターじゃなかった。

「マスター…戻ってきて。」

「ジュン、オレがお前を手放したのはこういう結末が見えてたからだ。

オレはいつ居なくなるかわかんないし、
お前はオレと居たら危険に晒される。

ハルキさんが反対したろ?

オレの正体を知ってたからだ。

オレが好きだった女がどうなったか知ってるか?
オレのせいで傷つけられて今は精神を病んでる。

オレはハルキさんやお前とは住む世界が違ったんだ。」

「でもマスターは家を継がないって言ってたでしょ。」

「そのつもりだったけど…抜けられそうもない。
もう会いに来るな。気を付けて帰れ。」

帰ろうとするマスターをアタシは止めた。

マスターはアタシの手を離そうとした。

「もう会えないの?
ずっとマスターだけが側に居てくれたのに…
居なくなったらアタシはどうやって生きてったらいいの?」

マスターはアタシが泣くと手の力を抜いた。

そしてアタシにキスをしてアタシを抱いた。

マスターがアタシを抱きながら泣いてる気がして
それが最後だとわかった。

アタシはマスターの思い出を身体に刻み込んだ。

「ごめん、こんなことするつもりじゃ…」

アタシを抱いてるマスターはいつもの優しいマスターだった。

「ジュン、幸せにな。
もう会わない。」

そしてマスターは部屋を出てった。

アタシの前からマスターは居なくなった。
18だったアタシは28になった。

10年間アタシをずっと見守って愛してくれた人だった。

アタシはマスターを傷つけただけだった。

それから2か月後、体調の変化に気がついた。
アタシはマスターの子供を身籠っていた。

誰にも言わずに居たけど悪阻が酷くてご飯も食べられず
体調が悪くなってアタシは店で倒れた。

その場所に居合わせたオーナーが病院に連れていき、
アタシの身体に起きてる事を知ってしまった。

「ジュン、父親は誰だ?」

アタシは誰にも父親の事を言いたくなかった。

「誰と寝た?

お前、最近誰とも付き合って無いだろ?

相手は誰なんだよ?」

勘のいいオーナーはすぐにその相手に気がついた。

「産むつもりなんだな?」

「うん。ちゃんと育てる。」

「だったらオレと結婚しろ。」

すごくビックリした。

「何言ってんの?」

「未婚の母にはしないから。
それに子供には父親が必要だろ?」

「待って、そんなのオーナーの家族が許さないよ。
別の男の子供なんだよ。」

「ジョウだろ?ジョウの子だよな?
アイツの子供だってバレたらどうなるかわかるか?」

マスターのお母さんは一人で黙って子供産んで
その事がバレてオーナーは母親と離され
父親に無理矢理引き取られた。

この子もその事がわかったらいつかマスターの家に連れて行かれるかもしれない。

そして…いつかマスターみたいにあの世界の人間にならざるを得なくなるかもしれない。

オーナーにはそれがわかっていた。

「オレの子供として育てろ。
本当の父親が誰かは誰にも言うな。」

アタシの願いがこんな形で叶うのが堪らなく辛かった。

「オーナーの人生はどうなるの?」

「オレの人生なんてたかが知れてる。」

その言葉に甘えられるほど図々しくは生きてない。

「そんなこと出来ないよ。
アタシはオーナーに幸せになってほしい。」

「オレが一番大事なのはお前なんだ。」

アタシはオーナーに甘えられない。
だから家を出るしか無くなった。

結局アタシの帰る場所は母親の所しかなかった。

「ジュン、どうしたの?」

10年ぶりに会ったママはだいぶ年をとった気がした。

ママは知らない男と生活していた。

「誰?」

「娘。」

「娘が居たんだな。」

「ママ、相変わらずだね。」

「何しに来たの?」

「暫く置いて。」

ママはアタシの体調がよくないのを見て
アタシのお腹に子供がいる事にすぐ気がついた。

「誰の子なの?」

「関係ないでしょ。」

「あの人じゃないの?アンタを拾ってくれた金持ちの人。」

ママは相変わらずだけど
今の男とは幸せそうだった。
アタシはそれを見て少し安心した。

「一人で産むつもりなの?」

「関係ないでしょ。」

「関係あるよ。アンタの母親だよ?
アタシみたいになってもいいの?

父親が居ないなら産まないで。」

ママは昔の自分を見てる気分だったんだろう。

「明日一緒に病院に行こう。」

ママはそう言って部屋を出た。

アタシの部屋は高校生の時のままだった。

先生に乱暴されたベッドに寝るのは嫌な気分だったし
ここには帰って来たくなかったけど
一人で産むのは怖かった。

だけどママはオーナーに勝手に連絡をして
オーナーがその日のうちにアタシを迎えに来た。

「ジュンと結婚します。」

「お腹の父親はやっぱりアンタなの?」

「すいません。お母さんとの約束を破ってジュンに手を出しました。」

アタシはそれを聞いてすごくビックリした。

オーナーはママとアタシの知らない約束をしていた。

「いいのよ。
あの時はまだジュンは18で子供だったし、
大人の男を怖がってたから。

でももうお嫁に行く年だもの。
相手がアンタで良かった。」

ママはホッとしているようだったけど
オーナーは未だにママとの約束を守ってアタシに手を出してないのに嘘をつかせてしまった。

「ジュン、帰るぞ。
近いうち籍を入れます。
結婚式はジュンの体調が落ち着いてから挙げますから。

順番が違ってすいません。」

「ジュンはバツイチだしそんなのどうでもいいのよ。」

「あの、俺もバツイチですから。」

「あら、そうなの?」

結局、アタシはオーナーと一緒に帰ることになった。

「わかったか?オレがお前に手を出さない理由。
でももう許しをもらったからな。」

それは10年前にさかのぼる。

オーナーはアタシに内緒でママに挨拶に行った。

「ジュンを預からせて下さい。
ちゃんと仕事させて信用できるちゃんとしたヤツと一緒にさせて嫁にも出しますから。」

「お願いがあるの。
あなただけは絶対にジュンに手を出さないで。
あの子、アタシのせいで酷い目に遭ってきたの。

大人は信用してない。

だからジュンを預かるならあなただけは手を出さないで。
絶対にジュンを傷つけないで。

アタシはジュンに酷い仕打ちしかしてこなかった。
貴方が信用出来る大人も居るって思わせてあげてくれない?」

「わかりました。ジュンが幸せになるまでずっとオレが家族みたいにそばに居てアイツを守っていきますから。」

ママはママなりにアタシを愛していた。
そして結局アタシを幸せに出来る男はオーナーしか居なかった。

「ジュン、ジョウの子ならオレは歓迎する。
アイツもオレの大切な仲間だから。

二人でジョウの子供を立派に育てよう。

悩むな。
何にも考えずに俺んとこに来ればいい。」

そしてオーナーは初めてアタシにキスをした。

ここまで来るのに10年かかった。

オーナーは話をどんどん進めてアタシは晴れて麻生ハルキの妻になった。

体調が落ち着いて結婚式を挙げた。

ケイタもアタシの幸せを喜んでくれた。

結婚式には、花邑さんもタクミも元夫のタケルも
そしてオーナーと秘密の連絡を取っていたカオルも来た。

だけどそこにマスターの姿は無かった。

時は流れアタシが結婚して一年が過ぎた。
アタシは無事にマスターの子供を出産して
オーナーに愛されて幸せに暮らしていた。

毎週末はオーナーと子供と3人で色んな所に出掛けた。

その日はいい天気で3人で都内の公園でピクニックをする予定だった。

その途中でアタシたちは偶然マスターを見かけた。

マスターは沢山の人に囲まれて
黒いスーツを着て鋭い目付きをして風をきって歩いていた。

頬にはあの時の傷が残ったまま…

マスターはアタシとオーナーに気がついた。

「ハルキさん、御無沙汰してます。

ジュン、元気そうだな。

結婚したんですよね?
おめでとうございます。」

そしてアタシの抱いてる子供に気がついた。

「もう子供居るんですね。」

オーナーは言った。

「お前から名前もらったんだ。
譲(ユズル)と書いてジョウって読むんだ。」

「光栄だな。オレと反対だ。

ジョウ、いい男になれよ。」

マスターはいつものマスターに戻っていた。

「マスター、抱いてあげて。」

アタシは息子のジョウをマスターに抱かせた。

これから先、マスターと息子が触れあうことは一生無いかもしれないと思うとその姿に泣きそうになった。

マスターは自分の子供だと気付かずにジョウを抱き上げて
「可愛いな。ジュンによく似てる。」
と優しい笑顔を見せた。

「ユズルさん、そろそろ時間です。」

男が呼びに来てマスターは喧騒の中に消えて行った。

「これでいいんだよ。」

オーナーがそう言ってアタシは頷いた。

アタシはマスターの幸せを願った。

そして今日もオーナーと生きていく。

大切なもう一人のジョウと一緒に。




THE END
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