愛しすぎて、寂しくて
マスター ジョウ vol.2
アタシが離婚したことは思ったより早くオーナーの耳に届いた。

「バカなヤツ。」

オーナーはアタシのアパートに突然やって来て心配そうな顔をしている。

無駄に高そうな服がこのアパートにあまりにも似合わなすぎて何だか笑えた。

「荷物まとめろ。
マンションに戻れ。」

アタシのベッドにオーナーが座るとベッドもいつもより小さく感じる。

オーナーはアタシの部屋を見回して言った。

「ウチのトイレより狭いな。」

アタシは吹き出して笑ってしまった。

「笑ってる場合かよ?24でバツイチになりやがって。」

そう言うとアタシの頭を撫で
優しい顔で笑った。

「オーナーはナナコさんと上手くいってる?」

「ナナコは今、イタリアに居るよ。

忙しいのか…なかなか連絡取れないな。」

「そうなんだ…寂しいね。」

オーナーは首を傾げて寂しそうに笑った。

「じゃ、早く引っ越せよ。
ジョウに手伝わせるから、困ったことあったらアイツに頼めよ。」

困ったことになった。

オーナーが知ってるってことはマスターにもバレる。

「一人で出来るよ。荷物も少ないし…
マスターには迷惑かけたくないから。」

オーナーがアタシの顔をじっと見ていた。

「な、何?」

「いや、別に…」

そう言うとアタシの頬を軽く2回叩いてオーナーは帰って行った。

オーナーが帰った部屋はまたいつもの広さに戻った。

ここに人が来たのはタケルが離婚届を持ってきた以来の事だ。

オーナーの高そうな香水の香りだけが部屋に残って
何だか無性に寂しくなった。

次の日、マスターに事務所に呼ばれた。

事務所はカフェの奥にある。

大きなソファーとテレビがあって
事務所というより休憩室みたいな感じだ。

シャワールームも付いていてオーナーやマスターがサーフィンの後や釣りに出掛けた後なんかに使っている。

「何で黙ってた?」

シャワーを終えたばかりのマスターの髪は濡れていて
タオルで頭を吹きながら上半身はまだ何も羽織らないままだ。

割れた腹筋と厚い胸板を自慢してるようにしか見えない。

左腕のタトゥーにはどんな意味があるのだろうか?

アタシはそんなことを考えながら無意識にマスターの話から逃げていた。

「聞いてんのか?
何で離婚したこといわなかったんだよ?」

「だって恥ずかしいでしょ。

偉そうなこと言って結婚したのに
1年しか持たなかったなんて…」

マスターは上半身裸のままコーヒーを淹れてくれた。
その姿が悔しいほど色っぽい。

「いつ引っ越す?」

「来週には…。」

「わかった。日にち決まったら知らせろよ。
それから今日なんだけど…夜も頼めるか?」

今度入った夜のバイトは休みが多かった。

タクミが辞めてから
何人かバイトが来たけど
家や学校の都合で辞める人が多くて夜はなかなか定着しない。

「お前夜に移らないか?
昼なら他にも来てくれる人がいるんだが
夜はどうしても学生ばっかりだろ?

もうお前が夜働いても文句言うヤツも居ないだろうしな。」

夜の勤務になるとマスターと二人でいる時間が長くなる。

昼はカヨさんというオーナーの友人の奥さんが来ているので
マスターと二人になる時間はほとんど無かった。

「か、考えさせて。」

「何で?」

「何でって…」

「じゃあ当分やってみてダメなら戻すから。」

さすがにマスターと二人きりになりたくないとは言えなかった。

あのキスにこだわってると思われたく無かったから。

私はその日から夜の専属になった。

夜はオーナーも必ず顔を出す。

「大丈夫か?
夜は酒飲みの客ばっかだから賛成出来ないけどな…」

「大丈夫ですよ。
俺が気を付けておきますから。」

オーナーはなかなか賛成しなくて

「お前が一番危ない気がするんだけどなぁ。」

とマスターに言った。

オーナーはもしかしたらアタシの気持ちを分かってるのかもしれない。

キスしたこともバレてるのかも…?

マスターは笑みを浮かべるだけで反論もしなかった。

「ジュン、ジョウとは絶対寝るなよ。
寝たらクビにするからな。」

今まで呆れるくらい何度もこの台詞を聞いた。

「はいはい。」

この忠告には二つ返事する事に決めている。

釘さすならアタシじゃなくてマスターにして欲しいと思いながら。

マスターのことは信じてるんだなぁ。

確かに今のアタシは危ないかもしれない。

そしてとうとうオーナーが帰って二人きりの時間が来た。

離婚がバレて初めての時間だ。

何となくだけど…危ない気がしてる。

まさかマスターが手を出すとは思ってないけど…
アタシは自分が信用出来ない。

「少し飲んでくか?」

マスターは危険だと思ってないんだろうか?
危ないってわかってたら断るべきなんだろうけど
何故か断れなかった。

「…うん。」

閉店後二人でカウンターでワインをあけた。

「じゃあ…ジュンの離婚に乾杯だな。」

「何それ?酷いんだから。」

「どうして離婚したんだよ?」

どうしてってって…
アタシは言葉に詰まった。

それだけでマスターはわかってしまうかもしれない。

「俺のせいだ?」

マスターは冗談ぽく聞いたけど
アタシはそれを冗談で返せるほど余裕がなかった。

「バカだな…
たから結婚なんてしなきゃ良かったのに…」

「違うよ、違うから!」

アタシは必死に気持ちを隠したけど
隠せば隠すほど好きって言ってるみたいだ。

マスターはワインをアタシのグラスに継ぎ足して
煙草に火を着けた。

「オーナーにバレない自信は?」

「え?」

「6年もガマンしたんだ。
ガマンしてるウチに他の男に持ってかれたしな。

俺だっていい兄貴を演じるのはそろそろ限界だ。」

ワインを飲み過ぎたのか…
マスターの言ってることが理解出来ない。

目の前のマスターは今まで見たこともない男に見えた。

「か、帰る。」

動揺して帰ろうとすると後ろから抱きしめられた。

「逃げるなよ。
受け入れてやるから。」

身体の力が抜けて身動きがとれなくなった。

「とりあえず俺と寝てみるか?」 

マスターは答えを待たずに
動けなくなったアタシにキスしてきた。

あの夜とは違ってこのキスにはまだ先がある。

何人も経験してるのに何をされてるのか理解出来ないほど緊張してる自分がいる。

それでもマスターの息が荒くなってくのがわかる。
まるで獣みたいに変わってくマスターを下から見上げた。

こんな角度でマスターを見たのは初めてだった。

いつの間にか頭が真っ白になって何も見えなくなった。

マスターの脈を打つ音が聞こえてきて
アタシはようやく自分を取り戻した。

マスターが腕の中で震えているアタシの髪にキスをする。

「何考えてる?」

我に帰ると色んな事を考えた。

マスターとの未来とか
オーナーの忠告とか
アタシの今日の下着の色は何だっけとか…

「一緒にシャワー浴びよう。」

とマスターは起き上がった。

ここのシャワーを使うのは今日が初めてだった。
6年も通ってたのに何もかもが初めてで戸惑ってしまう。

「心配するな。」

マスターはそう言ってまたアタシにキスをした。

その夜の帰り道はいつもと違ってみえた。

秋の風が気持ちいい。

もたれているマスターの背中からは同じ石鹸の香りがして幸せな気持ちになる。

マスターはアタシをあの小さなアパートには送らず
自分の部屋に泊めた。

アタシの片思いはようやく叶ったのに
これからの事を考えると不安になってしまう。

あのオーナーがアタシたちの仲に気付かないワケがないと思うと胸が痛かった。






< 7 / 24 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop