愛しすぎて、寂しくて
オーナー ハルキ vol.2
アタシがマスターと内緒で付き合い始め、1ヶ月が過ぎた。

オーナーは恐ろしく勘がいいが
マスターはオーナーの前でもいつもと変わらず冷静だった。

その冷静さは怖いほどだ。
もしマスターが嘘をついたらアタシはきっと気付かないだろう。

気になるのは最近、オーナーがいつもと違う事だった。

明らかに元気がないし、冗談も言わないで少しだけ飲んで帰るという日々を繰り返していた。

「最近オーナーおかしいよね?」

マスターはアタシに腕枕していた左腕を引いてベッドから起き上がった。

「お前なぁ、俺と寝た後にハルキさんの話かよ?」

「あぁ、ごめん。
でも…絶対おかしいよ。

何かあったのかなぁ。」

マスターは冷蔵庫からビールを取り出してアタシの背中に押し当てた。

「冷たいってば!」

「お前の頭の中はハルキさんばっかだな。」

アタシはマスターのシャツを羽織り機嫌を損ねてソファーでビールを飲んでるマスターの横に身体を密着させて座った。

そしてマスターの頬にキスをした。

マスターは大きな手でアタシの顔を抑えると今度は自分からアタシの唇にキスをする。

アタシたちは今まで結ばれなかった時間を埋めるように毎日死ぬほど愛し合ってる。

なのに…オーナーの元気がないとその事が頭から離れなかった。

「ハルキさんの事だけど…今、あんな風なのは
多分、ナナコさんのせいだな。」

「ナナコさん?
確か今、イタリアに居るんじゃなかったっけ?」

マスターはアタシの髪を撫でて時々色んな場所にキスしながら話を続ける。

「向こうに男が居るらしい。」

オーナーのような非の打ち所の無い男でも浮気されるのか。

アタシがオーナーの彼女だったら絶対浮気なんかしないけど…

マスターの腕の中で考えることでは無いけど
そのくらいナナコさんの浮気は衝撃的だった。

「大丈夫なのかなぁ。あんなに幸せそうだったのに…」

「お前もタケルと幸せそうだったけどな。」

「ちょっと!その話はしないでよ。」

その夜、アタシはなかなか眠れなかった。
マスターには悪いけどあんなオーナーは初めて見た。

アタシにはどうすることも出来ないけれど
とにかく心配だった。

次の日の夜もオーナーはお酒を飲みに来た。

アタシは何とか元気を出して欲しくてオーナーを誘った。

「オーナー、次の定休日にみんなで海でBBQしない?」

「BBQか、いいな。
今年はまだやってなかったな。」

オーナーはそう言ったけど心はどこかに置いたままだ。

「約束ですよ。」

アタシが小指をオーナーの前に立てると
オーナーは面倒くさそうに自分の小指を絡めた。
相変わらず細くて長い綺麗な指で…

「材料調達しといてな。」

オーナーはそれきり話はせずに帰って行った。

「大丈夫かなぁ。」

「お前が心配してもどうにもならない。」

マスターは冷たくそう言ったけど
オーナーは家族みたいな人だ。

「心配くらいしてもいいじゃん。」

アタシがそう言うとマスターはまた機嫌が悪くなった。

そしてBBQの日がやって来た。

オーナーは相変わらずBBQにもカジュアルながら高そうな服を着て現れた。

その日は天気も良くて絶好のBBQ日和だった。

オーナーの顔にも笑顔が戻って少しだけ安心した。

しかしその場所にナナコさんが突然現れて周囲の空気が一変した。

オーナーはナナコさんと話があるようで二人で店に行ってしまった。
アタシはその後ろ姿をずっと目で追いかけていた。

オーナーが心配でBBQどころじゃ無くなってしまった。

「ジュン」

マスターに呼ばれてアタシは振り向いた。

「帰ろう。片付けて。」

まだ飲み足りない他の従業員を残してマスターとマンションに帰ると
マスターはいきなりアタシを抱こうとした。

オーナーの事が気になってそんな気分にはなれなかった。

「いい加減にしろよ。」

マスターがどうして怒ってるのか分からなかった。

「お前、ホントはハルキさんが好きだろ?」

マスターのその一言でアタシは正気を取り戻した。

「そういうんじゃなくて…心配なだけだよ。」

「なら俺の前でそんな顔するな。」

マスターはアタシをそのまま抱いたけど
アタシの心がそこに無いことにきっと気づいてる。

いつもより全然優しくなかった。

―好きなワケじゃない。ただ心配なだけなのに―

アタシはマスターに抱かれながらずっと自分にそう言い聞かせていた。
マスターのアタシを扱う指が少しだけ痛い。

それでもマスターを傷つけないためにアタシはいつもと同じ声を出した。

知らない間にマスターとアタシとオーナーの関係は少しずつややこしくなってる気がした。

次の日の夜、オーナーがやって来てナナコさんと別れた事を知った。

昨日ナナコさんがあの場所に来たのはオーナーと離婚するためだった。

ナナコさんは荷物をまとめて来週またイタリアに戻るそうだ。

「ジュン、心配かけたな。
お互いバツが着いたな。」

と淋しそうに笑った。

それから3日後、ナナコさんが突然お店にやって来た。

「ジュンちゃん、ちょっと話せるかな?」

ナナコさんはアタシをテラスに呼んで
話しを始めた。

「久しぶりね。」

相変わらず綺麗だった。
ナナコさんは頭のてっぺんから爪先まで手入れが行き届いてる。そんな人だ。

「アタシに何か?」

「ハルキのことお願いしようと思って。」

「アタシにですか?」

「うん。ジュンちゃんに。」

ナナコさんの話は信じがたいものだった。

「アタシはね、ずっとジュンちゃんに嫉妬してたのよ。

だってハルキはね、いつもジュンちゃんの話ばかりするの。

好きなの?って聞いたら
そういうんじゃなくてジュンは特別なんだって…
それ聞いたらね、敵わないなって思って…。

ハルキはジュンちゃんには手も出さないでしょ?」

「アタシはオーナーにとって女じゃないですから。」

「まさか…!時々ものすごくエッチな目で見てるわよ。
わかんない?」

正直、そんなの全然わかんなかった。
ナナコさんは離婚でおかしくなってるんじゃないかと思った。

「ジュンちゃんから寄り添ってあげて。
そしたらハルキも勇気出すかも。」

「絶対違いますよ。」

「違わないよ。」

それだけ話してナナコさんは帰った。

いったい何が言いたかったんだろう?

「ナナコさん、何だって?」

マスターに聞かれたが今の話はマスターには出来ない。

「良くわかんなかった。」

ナナコさんと話してから妙にオーナーを意識した。

その様子をマスターはずっと見ていた。

それから3週間後くらいのことだ。

マスターが友人の葬儀で地元に帰り
お店に二日間出られなくなった。

アタシはバイトの男の子二人と店を回すことになった。
閉店の少し前にお店を閉めにオーナーがやって来た。

バイトを返して二人で精算と戸締りを済ませた後

「少し飲むか?」

とオーナーがアタシを誘った。

アタシたちは事務所で二人で飲んだ。

「離婚て大変だな。お前も結構大変だったんだ?」

「アタシたちはカジュアル離婚だから大したことなかった。」

「何だよ、カジュアル離婚て。」

「慰謝料とか無いし子供も居ないから養育費とか親権とかで争うことも無くて…

書類だけの問題で…

オーナーの場合、財産問題とかあるでしょ?

でも精神的にキツいよね。」

アタシたちはバツイチ同志離婚の話で慰めあった。

「結局、何で離婚したの?
ナナコさん、男がいたの?」

「俺が悪かったんだ。
ナナコの寂しさを理解してやれなかった。」

アタシは急にナナコさんの話を思い出した。

「ナナコさん、アタシに逢いに来たよ。」

オーナーはビックリしていた。

「アイツと何話したんだよ?」

その顔を見たらもしかしたらホントにオーナーの離婚はアタシも関係あるのかもしれないと思った。

「ハルキを頼みますって。」

「何でお前に頼むんだよ。
アイツもどうかしてるよな?」

オーナーは絶対にアタシを好きだとは言わない。

「でしょ?どうかしてるよね?」

オーナーはアタシの顔をじっとみていた。

「お前、最近変わったよな?
男出来たろ?」

急に血の気が引いた。

落ち込んでても勘は鈍っていないみたいだ。

「紹介しろよ。」

「居ないよ!離婚したばっかで男とか…もう冗談じゃないって感じで…」

アタシは上手く嘘をつけただろうか?

「ジョウもさ、最近おかしいよな?
気がつかないか?」

もしかしたらホントに気づかれてるのかも知れない。
今、カマをかけられてるのかも…

「マスター?全然おかしくないよ。
いつもと変わらないじゃん。」

「いや、アイツは絶対俺に隠し事してる。」

やけに心臓がドキドキしてきた。

だいたいオーナーに隠し事なんて絶対無理だ。

「俺の勘違いかなぁ。」

疑いの目で見てることは明らかだった。

とりあえず話題を他の事に変えて
アタシはその尋問のような会話から逃れた。

お酒の量は予想より多くなって
アタシたちは朝方まで二人で飲んでいた。

いつの間にか事務所のソファーで眠ってしまった。

起きるとオーナーがアタシの横でソファーに頭だけ乗せて自分の腕を枕に眠っている。

アタシはオーナーの寝顔を初めて見て
改めてオーナーの綺麗な横顔を眺めていた。

「寝顔まで綺麗だな。」

そんな独り言をいいながらオーナーの髪に恐る恐る触れてみる。

あの麻生ハルキがアタシのものになった気分になる。

いきなりオーナーが起き上がってアタシの手首を掴んで
アタシたちは見つめ合ってしまった。

この状況は何なんだろう?

アタシの胸はどうしてこんなに痛くなるのだろう?

すごくいい雰囲気で頭がクラクラする。

がしかし…オーナーは次の瞬間全てをぶち壊した。

「勝手に触るな。金取るぞ。」

キスでもされるかと思ったのに
オーナーはそう言うと起き上がってアタシのそばから離れた。

「シャワー浴びてくる。
お前は朝飯作っとけ。」

結局、ご飯を食べてオーナーに家まで送ってもらった。

その間、アタシの胸はずっと痛かった。

オーナーと居る間、マスターの事は一度も考えなかった。

家に帰り、一人になると涙が出てきた。

この気持ちをどうしたらいいかわからなかった。

ナナコさんの言葉はまるで呪文のようにアタシの気持ちをオーナーに縛り付けてしまった。



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