愛しすぎて、寂しくて
元カノ ナツコ
アタシとマスターはあれからギクシャクしてる。

マスターはあまり感情を表に出さない人だけど
オーナーの件で怒ってるのはわかっていた。

アタシはマスターへの気持ちが冷めたワケでも
別れたいワケでもない。

今でも一番好きだし離れるなんて考えてなかった。

オーナーの事は単なる憧れだと思うことにしていた。

思ったって叶うわけがない。

マスターと恋人になれただけでも充分すぎるほど幸せな事だ。

そんなとき、一人の女が店に現れた。

「ジョウ、久しぶり。
ホントにここに居るんだ!
噂で聞いたから会いたくて来てみたの。」

その女はマスターの名前を呼び捨てにする。

小さいけどグラマラスで健康的な感じがする。

「アタシのこと覚えてる?」

女は男と一緒に来た。
男は黒い肌をしていて例えるなら黒豹みたいだ。

無駄な肉など全く付いて無い完璧な身体は
見とれるほど美しかった。

「ナツコ…?」

ナツコ…あのナツコ?

あのマスターが少し動揺してる気がした。

アタシと知り合う前にマスターと付き合っていたとんでもない女の話を聞いたことがある。

確かその女の名前がナツコだった。

「アタシの名前覚えててくれたんだ。
ジョウは元気だった?
相変わらずいい男だね。」

マスターはナツコと半年付き合った。

ナツコはマスターに一目惚れして
あの手この手でマスターを口説いた。

マスターは簡単に人を好きにならないし、
最初は全く相手にしなかった。

それでもめげずにアタックして
あのマスターを口説き落とした女だ。

それなのにナツコはある日突然
マスターの前から居なくなってしまった。

その理由がわからなくてマスターは暫くナツコを恨んでいたそうだ。

マスターは彼女のことを訳のわかんない女…と呼んでいた。

「よく俺の前に顔出せたな?」

「まさか、アタシのこと忘れられなかったとか?」

アタシはナツコみたいな女が好きじゃない。

ワガママそうで馴れ馴れしくて
いつもみんなの中心にいるような目立つ女。

そしてその笑顔はひまわりのように眩しかった。

男はきっとみんなああいう女を好きになる。

「とっくに忘れてたよ。」

マスターはそう言ったけど
プライドの高いマスターが捨てられたことを忘れるハズがない。
少なからずその事はマスターの傷になってると思った。

「えー、アタシはずっとジョウのこと忘れられなかったのにジョウは忘れちゃったの?
本当に冷たいよねぇ。

ね、今、付き合ってる子とかいるの?」

マスターは何と答えるんだろう?

期待していたがマスターは

「居ない。」

と顔色ひとつ変えずに答えた。

ナツコには
「居るから帰れ!」
くらい言って追い返して欲しかった。

そりゃアタシたちの事は誰にも言えない秘密だ。
不倫でも無いのに誰にも気づかれちゃいけない。

バカみたいだけど…
それはアタシの雇用契約に含まれていた。

従業員同士の恋愛は禁じる。
万が一発覚した場合は即刻解雇とする。

変な雇用契約のせいで
アタシはまるでマスターの愛人になった気分だった。

日陰の女。
決して表には出せない関係。

「うそ?居ないの?じゃあさ、今夜二人で飲みいかない?」

「お前は男いるだろ?」

隣の黒豹みたいな彼氏は日本語がわからないようだった。

「彼はいいの。もうすぐ帰っちゃうんだから。
ね、行こうよ。」

アタシは気が気ではない。

マスターとナツコはいったい何回寝たんだろう。
そんなことを考えてしまった。

「行かねぇよ。
俺、女には不自由してねーし。」

「何?彼女は居ないのにそういう相手はいるってこと?
身体だけってやつ?」

「アホか…」

思えばアタシはマスターと二人で普通のデートをしたことがない。

部屋で一緒に食事したり、飲んだりしてHするだけだ。

手を繋いで映画を見たり、
ちゃんとしたレストランで食事をしたり…
そんなこともしたことがなかった。

身体だけってやつ?

アタシはその言葉が妙に引っ掛かった。
今のアタシはそれに近い気がして…

ナツコは話したいだけ話して黒豹みたいな男と帰って行った。

その夜、店に一本の電話が入った。

マスターのつっけんどんな返事が普通の客とは違うと思った。

「ジュン、悪い。ちょっと抜けるわ。」

「何があったの?」

「ナツコがトラブったらしい。」

その名前がマスターの口から出てアタシは嫌な気分になる。

「何でマスターが行くの?」

「悪い、すぐ帰るから。」

ナツコはその夜、クラブの他の客と揉めたらしい。

男がナツコの身体を触っただかで黒豹が怒ってケンカになりそうだったところをマスターが仲裁に行った。

閉店間際になってもマスターは店に戻って来なかった。

オーナーが来たので店を閉めてもらった。

「ナツコが来たって?」

「オーナーもナツコさんを知ってるの?」

「ジョウの昔の女だろ?
あのちっちゃくて胸のデカイ子な。

あのジョウを捨てた女だ。
なかなか印象深い女だったな。」

オーナーまでそんなことを言うから心配になった。
何となく嫌な予感がする。

男の落とし方を知ってる女…

元カノだし…

それにあの大きな胸だ。

好きな男と二人っきりには絶対したくないタイプだ。

「ジョウが心配?」

「え?」

「思ってたんだけど…お前、ジョウと何かあったろ?」

やっぱりオーナーの勘は健在だ。

「無いよ。絶対に無い!」

「いい加減止めねぇとマジでクビにするからな。」

オーナーはやっぱり気付いていた。
だけど多分今は目をつぶってくれてる。

「例えばだけど…
もしアタシが辞めたら付き合ってもいいの?」

「ジョウもクビにするから俺の見えない所で好きにすればいい。」

今のアタシがあるのはオーナーのお陰だ。
アタシはオーナーのそばを離れるなんて絶対に嫌だった。

「オーナーとは離れたくない。」

「じゃあ諦めろ。
店の風紀は乱すな。」

「もしオーナーと誰かがそうなったら?」

「お前以外の女は旦那がいるだろ?
俺はそんな事はしない。」

「アタシって可能性は?」

「あるわけ無いだろ?」

「何で店内恋愛禁止にしたの?
あの頃は女はアタシしかいなかったよね。」

「お前は未成年だったしな。
店の男たちに手をつけられたらお前のお母さんに申し訳ないだろ?」

オーナーはアタシが店で働き始めたとき、
わざわざママに逢いに行ってくれた。

お店で働く許可をもらって
大切にお預かりしますと約束したそうだ。

アタシがそれを知ったのはずっと後だった。

「アタシなんかもうとっくに汚れちゃってたから未成年も何も関係無かったのに。」

「汚れてなんか無い。
ジュンはただ、回りの大人に傷つけられただけだ。」

オーナーはそういう人だ。

オーナーほど信頼できて
アタシを大事にしてくれる男はいない。

だけど思っても振り向くことはない。

ナナコさんと別れたオーナーは前より近寄り難くなった気がした。

結局その日、マスターは部屋にも帰らなかった。
携帯は店に置きっぱなしで連絡もつかなかった。

マスターの部屋でアタシは一人で朝を迎えた。

次の日の朝早く、心配になってお店に行ってみると事務所にマスターがいた。

マスターは上半身裸で
床に転がってる空き瓶と脱ぎ捨てたようなマスターのシャツがこの状況を複雑にした。

「ジュン、何しに来た?」

そして誰かがシャワーを浴びてる音が聞こえた。

それがナツコだとすぐにわかった。

アタシは事務所を飛び出した。

マスターが追いかけて来てアタシの腕を掴んだ。

「待てよ。勘違いしてるだろ?」

「ずっとここに二人で居たの?
部屋で待ってたのに。」

マスターは困った顔をしてアタシの髪を撫でる。

「誤解だよ。
お前が思うような事はしてない。」

マスターはこんなときも冷静で
嘘をつかれてもアタシには分かる訳がない。

「ジョウ、ドライヤーとかない?」

奥から濡れた髪をしたナツコがマスターのTシャツを着て出てきた。

「あ、お店のジュンちゃんだっけ?
ごめんね。お店でこんなカッコ。」

ひまわりみたいな笑顔が無性に腹が立つ。

「帰る。」

マスターの手を振りほどいて帰ろうとするアタシを見て
ナツコは笑みを浮かべた。

「ジュンちゃんはジョウが好きなんだ?」

「ナツコ!お前はあっち行ってろ!」

マスターは外にアタシを連れて行った。

「帰らなかったのは悪かった。」

「このカッコは何?」

アタシはマスターの裸の胸を叩いた。

「勘違いすんな。面倒くさいのは嫌なんだ。」

冷たい言い方が胸に刺さった。

「わかった。アタシが面倒くさいんだ?」

「そうじゃないだろ?
ガキみたいな事言うなよ。」

アタシはマスターの腕を振り払ってその場を去った。

マスターはもう追いかけても来なかった。

夕方店に入るとマスターは普段と変わらない態度で

「おはよう」

と言った。

どんなときでも冷静で頭に来る。

夜にオーナーが来ても
アタシは普通に振る舞えなかった。

オーナーはアタシを事務所に呼んだ。

「何かあったろ?
顔色が悪い。」

「何にもないよ。」

「何にも無いって顔じゃないけどな。
送ってやるから今日はもう帰れ。」

アタシは本当にダメだ。

マスターは顔色ひとつ変えないのに…

オーナーの車の中でアタシは一言も話さなかった。

「ジュン、ジョウとケンカでもしたか?」

アタシは首を横に振った。

「ちょっと頭痛いだけ。」

オーナーはアタシの頭を撫でた。

「着くまでこうしてろ。」

そう言ってアタシの頭を自分の肩に寄りかからせた。
オーナーの高そうな香水の匂いが心地よかった。

ベッドで布団をかぶっていると
仕事を終えたマスターがアタシの部屋に来た。

「ジュン、そんなんじゃオーナーにバレる。」

「もう疲れた。隠れて付き合うのも…
マスターに振り回されるのも…」

「じゃ、別れるか?」

「マスターには簡単なんだね。」

マスターは溜め息をついてそのまま部屋を出てった。

このままホントに別れるつもりなのかと思うと居ても立っても居られなくなった。

アタシは部屋を出るマスターを追いかけて
マスターの部屋のドアの前で背中から抱きついた。

「別れたくないよ。」

マスターは振り向いてアタシに言った。

「ナツコと寝たって言っても?」

ショック過ぎて涙も出なかった。

そんなアタシにマスターはキスをした。

「心配すんな。寝てないよ。
でも…そう言ってもジュンは信じないんだろ?」

「どっち?」

「寝るわけ無い。
誤解すんなって言ったろ?
だからオーナーの前で俺にあんな態度取るのはやめろ。

バレるぞ。」

アタシはマスターに聞いた。

「オーナーが怖い?」

「怖いよ。ジュンを取られそうで…」

マスターはそう言ってもう一度アタシにキスをした。
そのままアタシはマスターの部屋に泊まった。

しかしこの事はこれでは終わりじゃなかった。

次の日ナツコがまた店に来たのだ。

アタシがテラスにビールを運ぶとナツコは言った。

「ジュンちゃん、ジョウと付き合ってるでしょ?」

「え?」

「ジョウは悪い男だから気を付けて。」

何だかすごく気分が悪かった。

「この前のことなら気にしてません。」

アタシは強がってみる。

「愛されてるもんね。
この前アタシのことジュンて呼ぶんだもん。
いくらなんでもああいうとき名前間違えるなんて…最低でしょ?」

これをどう解釈したらいいのだろう?

そのときはナツコの言ってることなんてからかってるだけで
騙されないって思ってたけど
アタシはマスターの事も信じることが出来なくなった。
< 9 / 24 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop