愛しすぎて、寂しくて
便利屋 カオル
ナツコとの一件でアタシとマスターはケンカばかりだ。

ナツコはマスターに度々会いに来て
マスターと仲良くしている。

アタシはナツコに騙されてるんだろうか?

その日もナツコが閉店まで店に居て
なかなか帰ろうとしなかった。

「もう閉めるから帰れよ。」

マスターはナツコに優しくしたりはしないけど
ナツコはなかなか帰らなかった。

「このあと少し付き合ってくれない?」

アタシとマスターの事を知ってるくせに堂々とアタシの前でマスターを誘う。

ホントにアタシからマスターを取るつもりだ。

「ジュン、帰るぞ。」

マスターはナツコじゃなくアタシを選んでくれた。

「行かなくていいの?」

アタシは素直になれなくてマスターを苛立たせる。

「行った方がいいのか?」

黙ってるとマスターはアタシの頭にヘルメットをかぶせた。

「乗れよ。」

アタシはマスターの後ろに乗って
マスターの背中を抱きしめる。

マスターの背中はタバコの匂いがした。

この時間が一番安心する。

マンションに戻ってもマスターはアタシの部屋に来てシャワーを浴びてビールを飲んでる。

側にいてくれるのに
何も変わらないのに
アタシは心だけをあの日に置き去りにしてしまった。

マスターが何を言ってもアタシの心は晴れなかった。

そんなアタシをわかっていたようで
とうとうマスターはアタシを突き放した。

「ジュン、どうしてもダメなんだな?
俺が信じられないんだよな?
お互い少し離れて考える時間が必要だよな。」

アタシは首を振って嫌だと言った。

「やだ、離れない。
マスターはナツコさんの所に行くつもりなんでしょ?」

マスターは大きな溜め息をついた。

「そんなだから一緒にいるのを止めようって言ってるんだ。
少し頭を冷やせよ。
離れてみたら自分がどうしたいかわかるはずだ。

ナツコの所には行かない。

お前が答えを出すのを待ってる。」

そういうとマスターは自分の部屋に戻ってしまった。

アタシはその夜泣きすぎて
次の日熱を出した。

離れようって言われたけど
頼る人はマスターしか居なかった。

マスターはそんなアタシを見て
「こんなになるなら信じてくれよ。」
と言って抱きしめてくれた。

「今日は休め。夜また様子見に来るから。」

そしてアタシはその日、仕事もせず
一日マスターの事を考えていた。

別れる気なんて無い。

マスターのことが好きだから苦しいだけだ。

こんなに好きなら信じればいい。

簡単なことなのに
アタシは不安だった。

こんなことでこれだけ動揺して
この先アタシはマスターと何かある度に
自分を見失う。

こんなに人を好きになったのは初めてだった。

ホントに捨てられたらアタシはきっと壊れてしまう。

そんな自分が怖かった。

夕方オーナーが部屋に来た。

「なんつー顔してんだよ。」

オーナーはアタシの頬を撫で心配そうな顔で見ている。

「病んでるのは身体か?心か?」

アタシはオーナーの顔を見て泣いてしまった。

「何があったんだよ?
だれがお前を苦しめてる?」

アタシはオーナーの胸に顔を埋めて泣いた。

マスターの事がバレてもいいと思った。

オーナーに止めてもらって終わりにすればいい。
そんな風に考えてしまうくらい疲れていた。

アタシは3日も仕事を休んだ。

休んでる間、アタシの面倒を見てくれたのはマスターだった。

アタシはマスターの提案どおり少し離れてみることに決めた。

オーナーはアタシのシフトを昼に移した。

やっぱり気がついてるんだろう。

久しぶりに昼にお店に出たら懐かしい人に会った。

「カオル?カオルだよね?」

カオルはアキラの友達だった。

アキラと付き合ってるとき殴られてるアタシを助けてくれた事があった。

「ジュン、まだここに居たんだな。
姿が見えないから辞めたと思ってた。」

「最近は夜しか入ってなかったから…
カオルは何?待ち合わせ。」

「うん、これから依頼人に逢う。」

カオルの仕事は便利屋だ。

便利屋と言ってもカオルは色んな事をしていた。

庭の手入れや花見の場所取りや
長蛇の列に代わりに並んだり
居なくなった猫を探したり
時には浮気の証拠探しまでしていた。

「今日は何?」

「買い物に付き合うんだ。」

「何それ?荷物持ち?」

「どうなんだろうな…一緒に買い物に行って映画見て食事して欲しいらしい。」

「それってデートだよね?」

「レンタル彼氏ってヤツかな?
まぁ、たまにこんな依頼もある。」

確かにカオルはすごくカッコ良かった。

イケメン人気俳優に似ていて
カオルの事をまわりの女の子たちがチラチラ見ているのをアタシは知っている。

そんな依頼があっても不思議では無い気がした。

「カオルはモテるもんね。アタシもお願いしようかな?」

「ジュンなら特別価格でいいよ。」

カオルのお客さんは30代位のお金のありそうな女の人だった。
左の薬指にプラチナのリングをしていた。

「人妻かぁ。」

アタシはそんなカオルを見て心配になる。

何でもカオルは結構な借金があるらしい。

そのために何でも引き受けるんじゃないかと不安になった。

元々、アキラと付き合ってる時からカオルとは何だか気があった。

会ったばかりなのに昔から友達だったみたいな懐かしさがあった。

アタシはカオルと仲が良くてアキラを時々怒らせた。

だけどホントにただの友達だった。

カオルはアタシを誘ったりしないし、
二人っきりになっても他の男のようにいやらしい事を考えたりしない。

とにかくアタシには珍しい健全な男友達だった。

夕方カオルがデートを終えて店に戻って来た。

カオルの服にはワインの染みが付いていた。

明らかに誰かにワインをかけられた跡だ。

「どうしたの?」

「人妻にやられた。」

カオルは笑ってるがきっと気分は最低だろう。

「何で?」

「最後まで付き合わなかったから。」

「当たり前だよ。そんなことしたら絶対ダメだからね。」

アタシはカオルのワインの染みを濡れたタオルで拭いたけどちっとも消えなくて嫌になる。

「ジュン、このあと飲みにいかない?」

カオルは凹んでるに違いない。

人妻にそんな扱いを受けて哀しかったハズだ。

「いいよ。何なら歌っても、踊ってもいい。」

アタシたちはカラオケに行って二時間も延長して、
アタシの部屋で二人で飲んだ。

「カオル、あんな依頼もう受けるのやめなよ。」

「わかってるけどあれが一番楽に金稼げるんだよね。」

「だからって身体売れって言われたんだよ?
バカにしてるでしょ?」

「レンタル彼氏にする時点でもうバカにされてるでしょ。

どっちにしろ、俺は役に立たないから。
どんなにせがまれても応じられないんだ。
今、ジュンが裸で誘っても…出来ない。」

「アタシにはそんな魅力無いって言いたいんでしょ?」

「そうじゃなくて…出来ない。」

アタシはその意味がわからなかった。

「もしかしてゲイなの?」

そう聞いたらカオルは笑っていた。

「俺ね、女の子が好きだけど…誰とも出来ない。
もう何年も身体が反応しないんだ。」

カオルは笑ってたけどこの若さでその病気は結構深刻だ。

「病院とか行った?」

「うん、でもあんまり良くならない。」

「そういう薬とか使っても?」

「もう止めよう。こんな話。」

そういう病気は精神的な事が大きいんだろうか?

どうしてこんなにカッコ良いカオルに
彼女が居ないのかようやくわかった気がした。

「だから彼女作らないの?」

「作らないんじゃなくて作れないの。
金も無いし…レンタル彼氏もやり辛くなるしね。」

「逆に彼女とかいた方が良くなるかも。」

カオルは急に真顔になって

「じゃあジュンがなって。
ジュンなら俺のこと理解してくれるでしょ?」

と言った。

アタシがビックリしてるとカオルはアタシに軽いキスをした。

「キスなら出来る。」

とカオルは冗談ぽく笑った。

「もう夜が明けちゃうな。ジュン、泊まってってもいい?
何にもしないから。」

しないんじゃなくて出来ないクセに…

アタシはカオルのことが心配になった。
毎日、どれ程のストレスがカオルの肩にのしかかってるんだろう。
カオルはあまりにも孤独でそれは昔のアタシを見てるみたいだった。

アタシは放っておくことが出来なくて
それから毎日のようにカオルと一緒にいた。

もちろんアタシたちはキスもしなかった。

ただ友達としてカオルの側に居た。

そんなアタシを見てマスターは心配になったみたいだ。

「距離を置いただけなのに
まさか他の男の事を好きになったとか?」

マスターはまるでヤキモチを妬いてるみたいだった。

「カオルとはそんなんじゃないから。」

「お前が俺を信じない気持ちがわかった。
今の俺もお前を信じられないからな。

もう寝たのか?」

そんなことを聞かれてアタシは悲しくなった。

カオルはそんなことどうしたって出来ないのに…

「マスターが離れようって言ったんだよ。
アタシはアタシなりにマスターのこと考えてる。

カオルは大切な友達なの。

友達が大変な時は助けてあげたい。」

そうは言っても現実には何もしてあげられない。

カオルがただ一人で辛い思いをしないよう
側にいてあげるだけだった。

もしかしたらカオルにはそれが負担だったのかもしれない。

カオルはいい仕事が見つかったと
暫くここを離れる事になった。

「カオルは…一人で大丈夫なの?」

「ならジュンが付いてきてくれる?

無理だよな。

ここにはジュンの好きな人たちがたくさんいる。

俺はそれを取り上げたり出来ない。

それにずっと居なくなるワケじゃないんだ。

また会えるよ。」

そしてカオルとの最後の夜が来た。

カオルは言った。

「ジュン、最後に抱きしめてもいい?」

アタシは両手を拡げてカオルを抱きしめた。

「お前のこと好きだった。
何度も抱きたいって思ったよ。」

その言葉を聞いてアタシは泣いてしまった。

「何も出来なくてごめん。」

カオルはアタシの涙を拭って

「最後だから許して。」

そう言ってアタシにキスをした。

長くて切ないサヨナラのキスは胸が痛くて堪らなかった。

アタシはその場に泣き崩れ
カオルは決して振り向かなかった。

アタシもカオルが好きだった。
それは多分友達としてだけじゃなかった。

カオルが望んだらアタシは付いて行ったかもしれない。

そしてカオルはアタシの前から居なくなった。

結局どこに行くかも、今度はいつ逢えるかも教えて貰えなかった。

カオルが行った後、アタシはマスターに言った。

「ごめん。アタシはカオルが好きだったみたい。
マスターの所にはもう戻れない。」

マスターは泣きながらそんな事を言うアタシを黙って見ていた。

そして言った。

「わかってたよ。でもカオルに頼まれたんだ。
お前の側に居てくれって。

アイツはお前が好きだから離れたんだ。
借金まみれの男じゃ幸せに出来ないって。」

アタシたちは誰もよりも仲がいい友達のはずだった。

計算外の気持ちがカオルとアタシを引き裂いてしまった。

マスターは泣いてるアタシを抱きしめて言った。

「俺のとこに戻ってくればいい。

たとえお前が他のヤツを好きになっても…
浮気したとしても…
俺を嫌いになっても…
俺はお前を離さないから。」

アタシはその言葉を聞いてナツコとの間に何があってもいいと思った。

「それからナツコとは絶対寝てないからな。」

マスターはそう言って笑った。

それが本当のことだとわかった。
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