机上の言の葉
 別の日。この前の講義とは違うけれど、例の落書きが書いてあった講義室にやって来た。この大学の中で唯一、三つの学部が詰め込まれた講義棟の一番広い部屋。

 この教室に限らないが、前から三番目の左側の列の席が、僕の定位置になっている。

 やる気がある人は中央の列の前の方に座るし、多くの生徒は後ろ半分に集まる。

 対して僕の定位置は一見やる気がありそうだが、教授との接触を極力抑え、なおかつ人が殆どいないため教授もあまり目を向けないと言う、僕だけの完璧な席だ。

 同じことを考えている人がいるからこそ、落書きがあるのだろうけれど。

 まだ講義までに時間があるため人はまばらにしかおらず、ひそひそと話し声が聞こえる中を通り抜け、いつもの席に座った。

 特にやることも無いので軽く予習をしておく時間だが、今日は落書きがどうなったのかの方が気になるので目を向けてみる。

『聞こえる 誘う声は 吉報か悪魔の声か

 迷子の私は 縋りつく 目も見えないから 手探りで 忘れられない光を 求め』

 以前書かれていたものは消されていて、新たに詩が書かれていた。

 前と同じ字だから前回の続きだと思うが、さらに理解できなくなっている。

『目も見えない』と書いているけれど、こうやって落書きできているのだ、実際目が悪いわけではないだろうし、意味があるとしたら何かの例えだと言うところまでは良い。

 しかし、吉報と悪魔の声を並べるだろうか?

 意味合い的には反対なのかもしれないが、吉報と並べるなら凶報だろうし、悪魔と並べるなら天使や神だと思うのだけれど。

 詩の部分に関する考察はこれくらいにしておいて、今日は詩とは別の場所が僕の目を惹いた。

 僕が前回書いたコメントの右下に『やっぱり、そう取られちゃうんだね。でも、違うよ』と返事が書いてあるのだ。

 メールでのやり取りが簡単に出来るこのご時世ではあるが、いや、このご時世だからだろうか、机の上の日を跨いでの言葉がとても魅力的に見えた。

 柄にもなく楽しさを覚えて、急いで返事を書く。

『じゃあ、どういうことなの?』

 続いて、今日の詩に対して『吉報と悪魔の声を並べたのはどうして?』とコメントしておいた。

 気が付けば授業が始まっていたので、ノートを開いて落書きを隠しつつ、真面目に授業に耳を傾ける。

 しかし、途中で眠気が襲ってきたので、机の上に書いてある詩を前回の分も思い出しながら、ノートに書き写すことにした。



 以来、机の上で始まった他愛ないやり取りは、思いの他に続いた。

 僕の『どういうことなの?』と言う問いには『ヒントは十二だよ』と返って来て、『時計?』と続けたところ『ひみつ』と小さな文字が添えられた。

『吉報』は花言葉らしく、『悪魔』と並べるので問題ないらしい。何の花なのかは教えてくれなかったけれど。

 また同時に詩の方も書き足されていった。

『光を失った私に 伸びる救いの手などはない

 光を失った私を 蔑む貶める目しかない

 弓なりの月の下 一人放り出されて

 6と8の混ざった 世界に迷い込むの

 聞こえる 誘う声は 吉報か悪魔の声か

 迷子の私は 縋りつく 目も見えないから 手探りで 忘れられない光を 求め



 突然奪われた希望を 探す取り返す術などない

 理不尽に無くした希望に 代わる輝くものはない

 絶望のその先には 新たな絶望が待っていて

 6と8の混ざった 世界で弦を鳴らすの

 愛にも似た 世界は 曖昧で 光をチラつかせる

 盲目の私は 手を伸ばす 先にあるモノ以外全てを 犠牲にしたとしても

 ピカピカと光り輝く過去の栄光も 今は虚しく 私を苦しめている

 それはまるで 幻のように 手と手の隙間から 零れていく』

 詩について毎回質問しているのだけれど、はぐらかされたり、秘密にされたりと結局僕はこれが何を言いたいのかはよくわからない。

 それでも毎回飽きもせずに僕のコメントに反応する作者が、いよいよ気になって来た。

 文字の感じから女の人だろうと予想はしていたけど、丸文字を書く男がいないわけではないし、遊び半分で僕をからかっているだけかもしれない。

 机上のやり取りの中に、もうすぐこの詩が完成するというものがあった。

 もしかしたら詩の完成と共に、このやり取りが終わってしまうかも知れない。

 楽しみではあったが執着しているわけではないので、机の上で名前を尋ねたり、連絡先を教えたりすることはしないが、どうせ暇なのだから、少し自分で動けないかと考えてみる。

 とりあえずは、大学について詳しい人に相談でもしてみようかと、昼休みになるのを待った。



     *



 昼休みに入り、いつもよりも急ぎ気味に学食に向かう。

 無事席を確保して、一安心しているところに八木がやって来た。

「よう、ボッチ」

「やあ、待ってたよ」

 お互いに片手をあげて挨拶をするのだが、今日の八木は一段と不思議そうな顔をしていた。

「カズトが俺を待っていたって珍しいな。初めてじゃないか?」

「そうかな? 今日はちょっと訊きたいことがあって」

「期末テストについて話すのは、まだ早いと思うが?」

「いや、テストじゃなくて……」

 訝しげな表情の八木に説明をしようとして、口籠る。

 まさか「机の上に詩を書くような人を探しているだけど、知らない? ここ最近ずっとやり取りしているんだけど」と尋ねるわけにはいかないだろう。

 僕はどう思われても構いはしないが、相手に悪い気がするし、冗談だと思われる可能性だってある。

「どうしたんだ?」

「僕たちの使っている講義棟を使う人の中で、詩を書く事を趣味にしている人っていない?」

「何だそれ?」

 八木の表情がいっそう険しくなる。

 急かされたので、言っても問題なさそうなところだけを言葉にしたのだけれど、我ながら曖昧すぎる。

 砂漠の中で一粒の砂金を見つけろ――というは言い過ぎだけれど――に近いものは感じる。

 しかし、八木は何か納得したように頷いた。

「よくわからないが、殆ど情報がない状態で、人を探してるんだな?」

「うん。見つからなかったら仕方ないかなくらいの気持ちだけど」

「だったら、一つ可能性は無くはない」

「本当!?」

 口にしてみて、無理難題だと自覚したところでの肯定的な言葉に、驚き顔を上げる。

「教える代わりに、そのから揚げが欲しい」

「いいけど、先に情報」

 企み顔の八木だったが、僕が簡単に頷いた為か、すぐに上機嫌で話し出した。

「カズトは、この大学に魔法使いが居るって話は、知っているか?」

「冗談なら怒るよ?」

「俺も冗談だとは思うんだが、まあ聞け」

 魔法使いなんて空想上の存在なのだから、冗談以外の何物でもないと思うのだけれど、八木も半信半疑と言う感じで、僕をからかっているわけではなさそうだ。
頷いて話を促す。

「噂自体は結構有名なものなんだが、この学校の生徒の中に魔法使いがいて、他の生徒の願いを何でも叶えてくれるらしい」

「七不思議みたいなものじゃないの?」

「俺も最初は大学でもあるんだなくらいに思ってた。

 だけど、先輩の中に本当に願いを叶えて貰った人がいるんだよ。

 俺が聞いたのは、単位がギリギリの先輩が、留年を決めるテストの内容を事前に教えてもらったって話。

 先輩は何とか留年を免れて、今卒業研究に精を出してる。

 後は、部活の大会直前に怪我をして出場が絶望的だった先輩が、奇跡的に回復したって言うのもあったな」

「前者は教授から何とか教えてもらったとか、問題を盗み出したとかで、後者は偶々で魔法使いとは限らないんじゃないの?」

「可能性は否定できないが、逆にテストを盗むような奴なら、人探しくらいしてくれるんじゃないか?

 確か代価がいるって話だったが」

「なるほど」

 僕は人探しがしたいのだから、探すのが魔法使いでも探偵でも、それこそ泥棒でも構わないのだ。

 八木の言葉に納得して、頷く。

「代価って言うのはどんなものを持って行けばいいの?」

「先輩は渋って教えてくれなかったな」

 首を振って分からないと示す八木に、続けて質問する。

「何処に行ったら会えるの?」

「講義棟の裏手に建物があるのは知ってるか?」

「妙に古くて蔦に覆われた、煉瓦造りの建物の事?」

「こういうことは知っているんだな。

 その建物一階の一番奥の部屋に、居るかもしれないらしい」

「何でそんなに曖昧なの?」

「全員が全員会えるわけじゃないらしくてな。居たり居なかったりするらしい。

 だから、普段は授業を受けている普通の学生じゃないか、って話もある」

 なるほど、相手も願いを聞くだけの存在ではないと言う事か。学生とは限らないだろうけれど、一日中部屋から出ないなんてことはないだろう。むしろ魔法使いが常にいると言われた方がリアリティには欠けそうだ。

 学生だと噂されるのは、見た目が僕たちと変わらないくらいだから、というのが実際の所だと思う。

 駄目で元々、思い立ったが吉日と言う事で、早速行ってみようと席を立つ。

 八木が驚いて僕を見上げた。

「気が早いな」

「すぐに動かないと、面倒くさくなっちゃうから。幸い次は授業ないし」

「行くんだったら、後でどうだったか教えてくれよ。

 俺も気になってはいたんだけど、行くのも馬鹿らしくてな」

「はいはい」

 何だ、都合よく使われるだけか。行動指針をくれた事は嬉しいけれど、から揚げはあげる必要はなかったかもしれない。
< 3 / 31 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop