愛しい人

 翌日、花名は約束の時間に本社へと向かった。
時季外れの異動ということもあり、総務部で簡単な手続きをして事務員から辞令と新しい社員証を交付されただけで終わってしまった。

「これで以上です」

 眼鏡をかけた年配の男性は事務的な言葉で締めくくる。

「あの。今日はどうしたらいいのでしょうか。佐倉マネージャーからは今日ここに来るようにとしか言われてなくて……」

「そういわれましても、私にはわかりかねます」

「……そうですよね。ありがとうございました」

 花名はお礼を言って総務部を出た。廊下のカフェスペースで立ち止まり、樹に電話をかけようとスマホを取り出す。そんな花名の肩を誰かがポンと叩く。

「小石川さん」

 花名が後ろを振り向くと、分厚い手帳とスマホを手にした樹がにこりと笑いかける。

「もう手続き終わった?」

「はい」

「じゃあ、行こうか」

 樹は踵を返すとすたすたと歩き始める。その背中を花名は追いかけた。

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